ハワイ・マレー沖海戦

ハワイ・マレー沖海戦 (1942)

昭和11年。海軍航空隊をめざして、予科練に入った少年。厳しい鍛錬の日々が彼を一人前のパイロットに変える。そして、彼の初陣は昭和16年、12月8日。真珠湾に停泊する米国艦船への奇襲攻撃だった。

公開日
1942-12-03
TMDB
7.0 / 10 (2)
上映時間(分)
1時間56分
ジャンル
ドラマ, 履歴, 戦争
監督
山本嘉次郎

キャスト

豆知識

『ハワイ・マレー沖海戦』 は、1942年(昭和17年)12月3日に公開された日本の戦争映画・プロパガンダ映画である。製作は東宝映画、配給は社団法人映画配給社。情報局国民映画参加、情報局総裁賞授与作品。監督は山本嘉次郎、主演は伊東薫。上映時間は117分。

製作

軍部では、真珠湾攻撃当時から記録映像を残すことが困難であるため、特殊撮影による記録映画の製作が構想されていたという。報道部海軍少佐の浜田昇一は、開戦前に訪れた東宝特殊技術課で円谷英二と出会い、開戦と同時に本作品の製作を依頼したという。

特撮は円谷英二が担当。円谷得意のミニチュアモデルによる特撮に、部分的に実際の海戦で撮影された映像を挿入し、臨場感を醸し出すことに成功している。制作費77万円のうち、約10万円以上が特撮に費やされた。ミニチュア撮影は東宝映画第二撮影所で行われた。

この映画で、円谷率いる特技スタッフは半年かけて精巧な1/400スケール1,800坪の真珠湾の特撮セットを作り上げ、見学に訪れた海軍報道部や朝香宮鳩彦王はそのリアルさに息を呑んだ。封切から一週間後の1942年12月17日に戦艦「大和」で本作品を鑑賞した宇垣纏連合艦隊参謀長も、日記に「見事な出来」と書き残している。後年、円谷は本作品について生涯で最も苦労した作品と語っている。

海軍省の至上命令で製作されたこの映画であるが、肝心の軍事資料は、担当将校らの「カツドウ屋は信用できない」という理由により、資料協力を受けられなかった。山本らスタッフによる空母の見学も検討されたが、作中登場する艦の見学は許可が下りず、既に旧式艦であった「鳳翔」のみ、しかも艦内設備の詳細な取材は厳禁とされた。山本は後に、「艦載機の着艦制動装置の仕組みなど子供でも知っているのに、それの撮影はおろか、見学も認められなかった」と、当局の対応に不満を洩らしている。山本と円谷は鈴鹿海軍航空隊に出向していた特別映画班の鷺巣富雄へ協力を求め、真珠湾攻撃参加者への取材などを行った。

この理不尽な状況の中で、実物大の空母セットは、カメラマンのハリー三村がどこからか入手した最新のアメリカの雑誌『ライフ』に掲載されていた、艦内を含むアメリカ海軍空母の写真を参考に作られた。また、円谷ら特撮スタッフはわずかな提供写真に写った水柱の大きさから、戦艦や飛行機、地形の実寸を割り出し、特撮セットを組み上げた。真珠湾セットは、東宝映画第二撮影所の庭に設けられた。物資が乏しかったため、セットの山はトタンを踏み潰して作り、その他の箇所もベニヤやアルミ板、鉛や石膏などを用いている。また、登場する飛行機は一部を除きいずれも実機だが、航空母艦は戦場にいるため実物大の野外セットを作り、離陸する飛行機はセットの上を滑走させている。実物大セットは、千葉県館山市に設営された。

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