少年

少年 (1969)

一部の親は意図的に子どもに交通事故を起こさせ、運転手から金銭をゆすり取ろうとしています。 これはかつて日本で話題となったニュース事件だった。 大島渚はこのニュースイベントをスクリーンに映し出し、その舞台裏をさらに掘り下げました。 少年の父親は戦争で負傷した障害を持つ退役軍人で、継母はかつてバーの女の子だった。この家族は日本の戦後社会の典型である。 現場では、父親が計画を立てて遠くに立ち、その様子を見守り、母親とティーンエイジャーは標的を探して街を歩き回った。

公開日
1969-07-26
TMDB
7.2 / 10 (63)
上映時間(分)
1時間37分
ジャンル
犯罪, ドラマ
監督
大島渚

キャスト

豆知識

『少年』(しょうねん)は、1969年7月26日に公開された大島渚監督の日本映画。創造社とATGの提携製作による1000万円映画(低予算映画)路線の作品である。交通事故を偽装して運転手から治療費や示談金をせしめて生活していた実際の当たり屋の事件をモチーフにし、全国縦断ロケを敢行したロードムービー。

製作

映画のモチーフはは、1966年9月3日に大阪西成警察署に逮捕された高知県出身の当たり屋夫婦の事件である。自動車の前に飛び出してわざと車にぶつかり、法外な治療費や示談金を取る当たり屋犯罪自体は当時既に珍しいことではなくなっていたが、この夫婦の場合、子供(10歳)に当たり役をやらせていたことや、全国各地を転々とし、計47件、被害総額百数十万円(毎日新聞東京本社の独自調査に基づく数字)という先例のない事件であったことから、新聞社会面は各紙とも連日このニュースの続報で騒ぎ立てた。

デビュー作の『愛と希望の街』(1959年)以来常に犯罪を映画のテーマに据えてきた大島渚は、この事件に衝撃を受けて映画化を決意し、脚本家の田村孟とともに綿密な調査を重ねてシナリオにまとめ上げた。『新宿泥棒日記』や『無理心中 日本の夏』などで、全共闘時代の暴力性やアングラブームに支持を表明してきた大島だったが、全国縦断ロケの映像美や少年の繊細な心理描写が前面に押し出される『少年』では映画づくりの原点に立ち戻り、少年の目を通して見た家族と民族の崩壊劇という自身の一貫したテーマを織り込みながらも、それを誇張のないドラマとして描いてみせて、自身や当時の映画の傾向とは一線を画した。

大島はATG1000万円映画路線の制約下で全国縦断ロケを敢行するにあたり、スタッフ・キャストを最小限に絞り込んだ。スタッフに大島から渡されたギャラは一律10万円。このためスタッフは色々な仕事を兼用した。『絞死刑』で主人公Rを演じた尹隆道も監督助手名義で運転手役で出演している。寸前で車の側面に飛び込む当たり屋の迫力を出すため、車の運転手にはプロのスタントマンが本来は要求されるが、低予算で雇えないためスタッフが運転した。

主役の少年を選びにあたり、大島は最初はラインプロデューサーの山口卓治に都下の様々な児童劇団の子役に当たって欲しいと指示した。しかしどうしても安定した家庭の子女には張り詰めたものがなく、1968年の秋、助監督の小笠原清に養護施設の子供の様子を見に行かせた。少年を演じる阿部哲夫は、目黒区の養護施設に収容されていた孤児であった。ある日、色々な養護施設の子供が一同に介して文化祭が行われ、阿部は芝居の稽古で女の子を演じた。これを観ていた小笠原が阿部を観てピンと来て、大島に「すぐに来て下さい」と電話した。稽古が終わった後、寮母に呼ばれて「映画に出ることになったよ」と言われた。長く学校を休むことになると聞かされ、悩んだが、阿部の意思は尊重されることはなく、寮の先生と大島サイドで話をどんどん進めて有無も言わさずだったという。チビを演じた木下剛志は制作部(進行名義)木下俊美の息子で、当時はまだ2歳だったことから母親が帯同した。阿部には時々寮の先生がロケ先に来てくれたという。

阿部には映画公開後、養子の申し出があったが、本人はそれを断って施設に戻り、映画界とも縁を切っている。1970年に山田洋次監督作品『家族』に出演している。実際の当たり屋の子どもには大島は「そっとしておいてやりたい」という思いからあえて会わなかった。公開時には「映画は見てほしい気がする」などと述べていた。

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