十階のモスキート

十階のモスキート (1983)

この映画は、人生に追い詰められた警察官が爆発的な逆境に立ち向かい、完全な自己破壊、すなわち涅槃へと向かう物語です。 映画全体のプロットは非常にシンプルで理解しやすく、内田悠也演じる主人公は寡黙で非常に内向的かつ抑制的なキャラクターです。 退屈で絶望的な退屈な仕事と無力で依存的な生活に直面しながらも、彼は常に耐え続けてきた。やがて金の渦に落ち、人生の表面の荒れ狂う波が一歩一歩打ち砕かれていくまで、彼は反抗的な態度で社会規範に挑戦し、不満を発散するために女性を侮辱したが、結局は二度と戻らない世界の奈落に落ちてしまった。

公開日
1983-07-02
TMDB
6.6 / 10 (7)
上映時間(分)
1時間48分
ジャンル
ドラマ
監督
崔洋一

キャスト

豆知識

『十階のモスキート』(じっかいのモスキート)は、1983年の崔洋一監督、内田裕也主演の日本映画。ニュー・センチュリー・プロデューサーズ製作、ATG系で公開された。崔洋一の監督デビュー作。

製作

『水のないプール』に続く内田裕也の企画。『水のないプール』完成直後にイメージした。内田は映画プロデューサーとして優れた嗅覚を持ち、三面記事的な事件をピックアップし、誰も思いつかない題名を付ける。『水のないプール』に続いて内田が目を付けたのが前述の現職警官による郵便強盗事件。同時期に内田が敵意を抱くフォークの武田鉄矢が、吉田拓郎の主題歌を被せて勧善懲悪の「刑事物語シリーズ」をヒットさせていたことから、フォーク野郎のヌルい警察映画が気に入らない内田は、製作を推進させていく。

東映セントラルフィルムの配給で『水のないプール』がヒットしたことから、最初は崔が長く助監督を務めた東映系の東映セントラルフィルムに「金出せや」と企画を持ち込んだが、東映も番線にかける勇気はなく、色よい返事がされず、他社に持ち込むもどこも難色を示しため、ニュー・センチュリー・プロデューサーズとATGに駆け込んだ。脚本を読んでくれて「面白いじゃないか」という返事をもらったが、両社から「金は出せません」と言われた。それで内田裕也の個人的信用で、映画会社とは関係のない会社から製作費を引き出した。しかし予算をオーバーし、ニュー・センチュリー・プロデューサーズが製作費を3分の1負担した。

タイトルの由来は、「ある時ふっと気が付くと、壁にモスキート(蚊)をつぶした小さな血痕が付いていた。自分の血なんですけどね。僕はロックンロールのナントカなんて呼ばれてるけど、現実には、大きな宇宙の中のちっぽけなモスキートみたいなものにすぎない───、でも人は刺せるよ、というふうな、それがテーマなんです。」。「組織の中で正直に生きようとすれば、落ちていかざるを得ない状況」を描いた作品で、タイトルの「十階」には、「十戒」という意味も込められている。十階とは当時内田が樹木希林と別れて暮らしていたワンルームマンション。

内田は脚本・監督には『水のないプール』に続いて若松孝二を希望していたが、内田の扱いに手を焼いた若松から断られ、若松から監督に崔洋一を推薦された。内田は「傑作かタコ(駄作)のどちらかにしてくれ」と崔に注文を付けた。脚本は1稿は内田自身が書いたが、何と横書き。映画常識からは無縁。その後内田栄一が3稿まで書き、内田栄一、崔、内田裕也の三者の歩み寄りができず、内田は脚本なしでの撮影を提案するが、初監督となる崔が難色を示したことから、内田が「俺が書く」と言って新たにホンを書き上げ、それに崔が加筆、修正を加え最終稿になった。この最終稿も「男女二人がベンツでモーテルにINNす。ごくふつうの女…がHADEMEになったという感じの色香」などとアルファベット多用の脚本で、主人公がパソコン・ポリという設定からのアイデアと見られる。パソコンはまだ初期だった。脚本クレジットは内田と崔の合作。

内田の不良の娘を演じる小泉今日子は映画初出演。撮影時はまだブレイク前と見られる。小泉の他、スナックの女・中村れい子、万引き女・アン・ルイス、婦警・風祭ゆき、別れた女房・吉行和子と、女優たちの選択がすこぶる良い、と塩田時敏は評価している。

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