怪談 蛇女

怪談 蛇女 (1968)

剃刀で斬った女の喉笛がヒューヒューと音を立てた夜から、この恐ろしい復讐が始まる。日本に数ある魔性の蛇伝説、民話に材を取り、身の毛もよだつような女の執念と呪いを描いた怪談映画。名匠中川信夫監督が趣向を凝らした恐怖の見せ場を12場面用意し、連続する戦慄シーンとエロチシズムで展開する怪奇性豊かな怪談映画の名編。 明治の初め。深い山々に囲まれた北陸の大沼村、大地主・大沼長兵衛の支配下に小作人たちは借金と悲惨な生活に喘いでいた。年貢を納められない小作人・弥助一家は長兵衛に田畑を取上げられ、堪りかねた弥助は路上でひとかけらの温情を乞うが、大沼長兵衛は馬車で弥助を轢き殺してしまう。しかも弥助の妻すえ、娘のあさは大沼家の過酷な機織奉公を強制され、すえは長兵衛の妻政江に虐げられて見る見るやつれ、あさは大沼家の長男武雄の好色な目に晒されていた。そんな折に、大沼家の庭に現れた一匹の蛇を使用人たちが殺そうとしていたのをすえが救ったが、蛇は不吉と嫌う長兵衛は力任せにすえを蹴り倒した。打ち所が悪かったすえは“蛇になって…”と呪いの言葉を残して死ぬ。更にあさは使いの帰り道で武雄に暴行される。絶望の果てにあさは母すえの亡霊をみる。あさはすえの墓前で咽喉を斬って自害する。その夜からすえの亡霊はヒューヒューと不気味な音を立てて長兵衛や武雄を脅かして恐怖に陥れる。長兵衛の妻政江が食事をとろうとすれば茶碗の中は灰や消し炭であったし、また長兵衛の行くところすえの死顔が張り付き、武雄が新妻を抱けば新妻の柔肌はザラザラと蛇の鱗におおわれていた。発狂した武雄は鎌で咽喉を斬って果てるとその屍にはびっしりと蛇の鱗がこびり付いていた。追えども払えども昼夜なく絡みつくすえとあさの不気味な蛇の影に大沼家の乱心狂気は頂点に達していた。あまりの恐怖に長兵衛は蛇の怨霊を落そうと巫女を呼んで祝詞を挙げ、蛇という蛇を狩り集め火の中に放り込んだ。炎が蛇の舌のようになってすえとあさの死顔が現れる。すかさず長兵衛は刀を一閃するが、血まみれに倒れたのは妻政江だった。猛然と襲い来る蛇を斬り払う長兵衛は、遂に自らの咽喉に刀を突き立てた。

公開日
1968-07-12
TMDB
6.0 / 10 (8)
上映時間(分)
1時間25分
ジャンル
ホラー
監督
中川信夫

キャスト

豆知識

『怪談 蛇女』(かいだんへびおんな)は、1968年(昭和43年)7月12日公開の日本映画。賀川雪絵主演、中川信夫監督。東映(東映東京撮影所)製作、東映配給。上映時間は85分。

製作

"怪談映画"は1960年前後がピークで、1960年代後半の怪獣映画の大ブームなどで、子どもたちからもバカにされる存在になっていたが、1967年夏に大映が『四谷怪談』『怪談蚊喰鳥』の旧作を再映(リバイバル)し、これが意外にヒットし、映画業界を驚かせた。当然各社、1968年夏に向け、怪談もの便乗競作の動きが出て、この年ゴールデンウイークに大ヒットした東映『徳川女系図』以降、各映画会社のエロダクション化が進み、ピンク(エロ)エッセンスを加えた怪談映画を構想した。このような風潮の中、東映東京撮影所(以下、東映東京)の扇沢要プロデューサーが、東映の映画製作の全般を掌握していた岡田茂常務兼企画製作本部長兼東映京都撮影所所長に、「怪談映画を作らせて欲しい」と盛んに働きかけた。岡田はあまり乗り気でなかったが、東映でも本作と『怪猫 呪いの沼』の二本の怪談映画の製作を決めた。

1967年に東映社員から契約社員になった脚本家の神波史男に扇沢要から脚本の発注があった。扇沢から「怪談映画をやりたい」と言われたが、神波は「東映東京で怪談映画?」と不思議に思い、東映の監督で怪談映画をやる人がぱっと思いつかなかったことから、生意気盛りの神波は「中川信夫さんを呼んできて下さるのならやりますよ」と冗談半分に言った。中川は当時フリーで、しばらく映画を撮っていなかったことから東映からの監督要請に応じた。

脚本は神波史男と中川信夫のダブルエンドクレジットあるが、神波は「僕のオリジナルです」と述べている。記憶も曖昧で、中川と脚本作成に会った記憶もなく、会社からとにかく怪談物をという発注で、中川監督の代表作である『東海道四谷怪談』の鮮烈な蛇のシーンと女の恨みをくっつけたような気がする、当時の東映東京は東映内で脇の物ばかり作っていたところで、急いで書かされたと思う、などと話している。中川は「脚本が出来た時、一応いいと思ったから、こっちも威張っているから、これからは俺が書くと言った。彼に威張ったんですよ。神波の立派なホンがあるのに、もう少し深く付き合えば良かったと思う。神波は偉いですよ。いいかげんにやってない。僕がもう少し一生懸命やればもっといいものができたな。恥ずかしいな。実際悲しいよ。終生の失敗だな」などと述べている。

主役の"蛇女"には最初は大原麗子がキャスティングされていた。当時の東映の新人拘束期間は5年間で、1965年に東映に入社した大原は、1970年7月がその終了期間であった。東映としては当然、契約延長を視野に入れ、大原に初主演がオファーされた。しかし大原は"蛇女"なることを非常に嫌がり、「裸になってもいいし、夜の女だってやるけど、わたしのイメージをぶち壊すようなおバケ映画で裸になるのはイヤ! いまさらおバケ映画に出られるか」などと怒ってこれを蹴った。当時、好色路線(東映ポルノ)を推進していた岡田茂企画製作本部長は、東映専属女優・大原と小川知子を脱がそうとしていた。この後、紆余曲折あり、大原の初主演作は『㊙トルコ風呂』になった。"蛇女"から"ソープ嬢"への転身に当時のマスメディアも驚き、記事に取り上げた。東映時代の大原は今日イメージとは違い、"不良性感度"の強い女優という位置付けだった。

蛇が嫌いな賀川雪絵に顔と体の右半分に蛇の鱗を貼り付けた。度々映る蛇は無毒のシマヘビらしき蛇を使用している。

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