高校大パニック

高校大パニック (1978)

数学できんが、なんで悪いとや!

日ごろから不満が鬱積していた高校生のガンマニアの少年が、数学教師に問題が解けないことを罵倒されたことによりその不満が爆発! 銃砲店から猟銃を強奪し、校内に女子生徒を人質に立てこもってしまう。

公開日
1978-08-19
TMDB
6.9 / 10 (8)
上映時間(分)
1時間34分
ジャンル
犯罪, スリラー
監督
石井岳龍, 澤田幸弘

キャスト

豆知識

  • 原作:高校大パニック

『高校大パニック』(こうこうだいぱにっく)は、1978年に公開された日本映画。1976年に8ミリ自主映画用に制作された17分の同名短編作品を日活で劇場用35ミリでリメイクした。同時上映は『帰らざる日々』。本項では8ミリ作品についても述べる。

製作

石井聰亙が高校時代に映写機・カメラとも急に普及し、高額だった8ミリ機材も比較的手に入りやすい状況となった。それでもいざ映画を作れば制作費は数十万円かかるため、高校時代は映画を撮ることはなかったが、日芸入学後に同時録音カメラやエルモ社のグランドモデルという劇場でも明るく大画面で16ミリと遜色なく上映できる映写機なども出たため、8ミリで『高校大パニック』を撮った。ちょうど長谷川和彦監督が、20代で『青春の殺人者』を撮り上げたことで、当時の映画ジャーナリズムが新しい時代の到来などと騒ぎ、『GORO』が長谷川に大学生が作った映画を見せ、『高校大パニック』を観た長谷川と石井の対談が組まれ、長谷川は石井の相談に乗った。1982年に共に「ディレクターズ・カンパニー」を設立したのはこうした経緯による。

脚本の神波史男は「石井君の8ミリをプロデューサーの結城良煕が観て、これを本格的映画にしようということでした。それで石井君と盟友で8ミリのプロデューサーをやっていた秋田光彦君と、大屋龍二君と僕の4人で、千葉の日活の別荘に籠って毎晩酒を飲みながらホン作りをしました。小沼勝さんが『花と蛇』で使った庭園のあるような立派な建物で、夏だったから庭でバーベキューやったりしながら楽しかった。その段階では石井君は納得していた。ところが撮影に行ったら、澤田さんたちスタッフはベテラン揃いで、何もすることがなかったそうです。石井君は20歳出たくらいで、まだ少年って感じでしたね。いきなり擦れっ枯らしのスタッフばかりの現場に放り込まれたんだから。そもそもの8ミリは、石井君自身の実体験を基にしてるらしいけど、通っていた受験校の物凄く気に入らない数学教師に対する怨念が作らせたものだったらしい。でも8ミリは短編だから、1本の娯楽映画にするには、徹底的に膨らませなければいけなかった。

フォース助監督の金子修介は、17分を1時間半に伸ばしたため、間延びして全くワクワク感のない面白くないホンと感じ、サードの助監督の那須博之に「これで日活は勝負しようというの、ムリでしょ」と那須に進言した。那須は「ガンアクションをリアルにやらなければ面白くない」と言った。

1978年6月30日クランクイン。チーフ助監督に菅野隆。セカンドは不明で、サードの助監督に那須博之。那須が金子修介をフォースに就けた。フィフスが石井組の松井良彦。カチンコは松井が叩いたが、怒鳴られまくられていたという。澤田組が多いため、沢田と石井の二人の監督がどういう命令系統になるのか分からない。石井は日本大学芸術学部在学中の21歳。見た目よりも若く見えるが、当時から既にテレビにも出演し、監督を目指す同世代の者たちからは嫉妬される存在。澤田は石井をもう一人の監督として尊重し、二人三脚でやっていたが、撮影部のピントマン・杉本一海がしょっちゅう「石井どけ!」と怒鳴った。また澤田が現場にいないときに、石井はいたため、金子がチーフ助監の菅野に「監督いるからカメラ回しましょうよ」と言ったら、菅野は「冗談だろ」とマジ切れされたという。

日活撮影所に教室のセットが二つ建設された。廊下にレールを敷き、教室が四つあるように見せている。生徒役は児童劇団を中心に石井がオーディションで選んだ。それぞれ35人づつ、計70人のエキストラの生徒が教室に入り、当時の照明機材は重く、また発光すると物凄く熱くなり、またこの年は記録的猛暑で、蒸し風呂状態になった。冒頭の数学教師射殺シーンの撮影は1978年7月1日。弾着専門のスタッフが来てキャストの体に装着したが、那須は興味津々だったという。澤田が早撮りで撮影が早く終わることが多く、一応大作のため、予算が余り、毎日打ち上げでビールに焼肉三昧だったという。

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