明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史

明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史 (1969)

Discover 4 famous Japanese murderers: Takahashi Oden, the last woman beheaded in Japan, Sada Abe, a crazy lover, Kunihiko Kodaira, a rapist-killer and finally, the Toyokaku case, a woman who did everything to own a hotel.

公開日
1969-08-27
TMDB
7.2 / 10 (10)
上映時間(分)
1時間32分
ジャンル
犯罪, ドラマ, ホラー, スリラー
監督
石井輝男
シリーズ
The Joys of Torture Collection

キャスト

豆知識

『明治大正昭和 猟奇女犯罪史』 は、1969年公開の日本映画。主演・吉田輝雄、監督・石井輝男。R-18(旧成人映画)指定。

製作

本作は大手映画会社で最も積極的に実録犯罪映画に手を出したといわれる東映の東映京都撮影所に於ける源流といわれる。岡田茂東映企画本部長が、「70年安保を控えて映画も時代に即応した強度の暴力が受けるはず」と打ち出した"刺激暴力路線" "ゲバルト路線"『やくざ刑罰史 私刑!』に続き、"実話路線"として打ち出したのが本作。石井輝男も「"ひっぱがし"を6本も作ったので、もう飽きた」と話した。1969年7月に「阿部定事件」「小平事件」「日本閣事件」「高橋お伝」など、ショッキングな事件をそのままオムニバスで映画化すると発表し、製作意図は「猟奇と真実を通して、人間の本性を追及する」とした。

本作の公開は1969年8月であるが、その一年以上前の1968年6月の『映画ジャーナル』で、岡田が本作の原型と見られるような企画の話をしている。「1969年の正月映画として準備している"刺激性路線"『妖婦百人』。登場人物は題名どおり高橋お伝、妲己のお百、夜嵐お絹その他、有名な妖婦、毒婦を総登場させてドラマを構成する。誰が明治時代の妖婦で、誰が徳川時代の毒婦であっても一切お構いなし。そういうことにこだわらず型破りに作ってみせる。今までは"逃げ"の週間といわれていた番組も、これからは、この種の見せ場のはっきりとした企画の作品で逆に"儲け"の週間番組に切り替えてみせる」などと述べている。1969年の正月映画なら同じ石井監督の『残酷・異常・虐待物語 元禄女系図』と見られるが、コンセプトは本作『明治大正昭和 猟奇女犯罪史』に近い。妖婦や毒婦は古くから映画作品のテーマにもよく使われ、岡田は同時期に宮園純子の初主演『妖艶毒婦伝』シリーズを企画している。

阿部定は当時、吉原に近い台東区竜泉でおにぎり屋「若竹」を開店し「阿部定の店」という触れ込みでほどほどに繁盛していたといわれる。石井は「無理やり探した」と話しており、打ち合わせのために東映京都撮影所で阿部を見た関係者たちは「もう61、2歳だろうに、とてもそうは見えなかった。美人の評判の高かった人だけに、さすがにその色香はまだ残っているようだった」と感心した。

話題作りのため1969年7月、京都に阿部を呼んで製作会見を開いた。物凄い数の報道陣が集まり、フラッシュが一斉に焚かれて阿部の顔が真っ青になり、「私、悪いことしたんでしょうか?」と石井に言った。この会見で阿部は「監督の申し出にこれまで誤り伝えられてきたので、今度は東映さんの良識を信ずる」、週刊誌の取材には「いまさら、真相を知ってもらおうなどという気持ちで出るわけではありません。ただ東映さんからの熱意にほだされただけ。私も、もう年をとりましたよ」「やっと世間から忘れられるようになったいま、ふたたび過去のことを洗いざらいさらけだすようなことはしたくなかったのですけど、私の本心を理解していただくため、これが最後の機会だと思って出演しました」などと話した。石井は「興味本位には描かないつもり。阿部さんを世間では異常者とみているようだが、ぼくは純愛の持ち主として解釈している。あくまでも彼女の気持ちを大切にして扱いたい」と話した。

聞き手の吉田は、役どころである医師としての演技は特にせずに、素の雰囲気で阿部定に接している。

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