Titanic

Titanic (1943)

In 1912, the Titanic embarks on its inevitable collision course with history. In the wake of the over-spending required to build the largest luxury ship in the world, White Star Line executive Sir Bruce Ismay schemes to reverse the direction of his company's plummeting stock value. Onboard the Titanic, brave German 1st Officer Petersen struggles to convince his self-important British superiors not to overexert the ship's engines.

公開日
1943-09-24
TMDB
6.1 / 10 (95)
上映時間(分)
1時間28分
ジャンル
ドラマ, 履歴
監督
Werner Klingler, Herbert Selpin

キャスト

豆知識

『タイタニック』(Titanic)は、1943年に製作されたナチス・ドイツのプロパガンダ映画である。第二次世界大戦中のベルリンにて、トービス・フィルムコンスト社が制作した映画であり、1912年4月に北大西洋の底に沈んでいったタイタニック号の壊滅的な沈没を描いている。

製作

1942年3月、ナチス・ドイツの宣伝省は映画の脚本を最終承認した。ベルリンにあるトービス・フィルムコンスト社(Tobis Filmkunst)の「ヨハニスタル・シュトゥーディオス」(Johannisthal Studios)にて、船内の場面の撮影が始まった。1942年5月、ドイツの占領下にあったポーランド、バルト海を臨むグディニャにて、遠洋定期船のカップ・アルコーナ号(SS Cap Arcona)の外観撮影および救命艇の場面の撮影が行われた。

映画の制作にあたり、自尊心の衝突、創造性の大いなる不一致、戦時下に見られる不平不満といった多くの難題に見舞われた。撮影が進むにつれ、監督のヘルベルト・ゼルピン(Herbert Selpin)は高価な設備を要求した。ゼルピンはドイツ海軍からの追加の資源の提供も要請した。撮影費用の増大や、戦時下にあったドイツ経済の疲弊が進行しつつあったが、宣伝大臣のヨーゼフ・ゲッベルス(Joseph Goebbels)はゼルピンの要請を承認した。映画を撮影するにあたり、ゼルピンはゲッベルスから財政面での支援を受けた。

カップ・アルコーナ号での一週間の撮影のあと、撮影現場の近くで、連合国軍による空襲があった。脚本の共同執筆者の1人、ヴァルター・ツェルレット=オルフェニウス(Walter Zerlett-Olfenius)はベルリンでの撮影では厄介者のような存在となっており、ゼルピンはツェルレット=オルフェニウスを女優たちとともにグディニャに送った。ゼルピンがグディニャに到着すると、映画撮影は進んでいなかった。ツェルレット=オルフェニウスに事情を尋ねると、映画撮影の相談役となる予定であったドイツ海軍の将校は女優たちとの情事に時間を費やしていたのだという。ツェルレット=オルフェニウスは、将校にはそういう権利があるのだとし、将校に対する批判の言葉を避けた。ゼルピンは怒りを露わにし、ツェルレット=オルフェニウスを罵倒した。1942年7月30日、ゼルピンは危機会議を招集し、その会議の場で、ドイツ海軍の将校について公然と批判の言葉を浴びせた。

1950年、ドイツの週刊誌・デア・シュピーゲル(Der Spiegel)は、「ゼルピンの遺体の写真は、彼は最初に首を絞められて殺されたのち、サスペンダーで吊るされたのだ、ということを証明するものだ」と断言した。

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