おかしな奴

おかしな奴 (1963)

終戦直後の混乱期に“純情詩集”なる独特のスタイルと“破壊された顔”で落語界に登場し、一大センセーションを巻き起した天才落語家・三遊亭歌笑の一生を笑いと涙で描いた人間喜劇。

公開日
1963-11-01
上映時間(分)
1時間51分
ジャンル
コメディ
監督
沢島忠

キャスト

豆知識

『おかしな奴』(おかしなやつ)は、1963年11月1日公開の日本映画。渥美清主演・沢島忠監督。東映東京撮影所製作、東映配給。白黒映画。天才落語家・三遊亭歌笑の短くも波乱の富んだ人生を渥美清主演で、笑いあり涙ありの軽妙洒脱な新喜劇として描く。

製作

当時の東映は東映京都撮影所の製作する時代劇が当たらず、一方、東映東京撮影所所長・岡田茂の指揮する「東映ギャング路線」が大当たりを続け、正月を含まない月の配収で松竹の正月(1月)の成績を上回るようになっていた。「ギャング路線」の功績により岡田は1962年10月、36歳の若さで東映の取締役に昇格した。本作直前にも東映東京のオールスターによる『ギャング忠臣蔵』という変なタイトルの映画を出し、映画評論家から「酷い」と酷評された。岡田は「映画は路線化(シリーズ化)しなければ単発で当てても儲からない」という持論を持ち、〇〇路線好きで、「東映名作路線」や「戦記路線」(『陸軍残虐物語』のみ)など色々な路線を敷いたが、「東映喜劇路線」と称した第一作が本作となる。岡田が"喜劇路線"を打ち出したのは「東映ギャング路線」と同時期の1962年。東映の社内報1962年10月号の「ギャング路線を基調に多彩なラインアップの編成。

また岡田は1963年7月3日の『読売新聞』夕刊「路線もの映画 そのプラスとマイナス」という記事で「昨年(1962年)5月の『ギャング対ギャング』に始まるギャング路線を皮切りに、歌謡路線、やくざ路線ときて、いまは戦記路線と名作路線の製作がピークにある。今後に予定される"新線"は喜劇路線で、渥美清主演の『おかしな奴』(三遊亭歌笑の一代記、沢島忠監督により、封切りは十月)、同じく渥美の『冠婚葬祭』(長谷川幸延原作、大阪の古い葬式屋の親子二代の物語り、伊藤大輔脚本・監督により封切りは来年正月)、藤田まこと主演の『赤いダイヤ』(梶山季之原作、現代版"大番"的な物語り、監督未定、封切りは来年二、三月ごろ)を作る予定。喜劇路線となると、他社の並行線も走っているので、涙と笑いのタッチをつけ、人間関係に深くメスを入れて東映喜劇路線を特色づける」などと述べていた。

別人名義で『人生劇場 飛車角』の脚本を書かせた鈴木尚之を重用し、1963年の一年間に本作を含め、本作の併映『五番町夕霧楼』『人生劇場 続飛車角』(相井抗名義)『武士道残酷物語』『宮本武蔵 二刀流開眼』と6本の脚本を書かせ、翌1965年に鈴木は『飢餓海峡』の脚本を書き、代表作とした。本作は鈴木のオリジナル脚本。

東映東京には当時、佐久間良子ファンの"佐久間派"と本作に出演する三田佳子ファンの"三田派"があり、企画としてクレジットされる吉田達プロデューサーは"三田派"の急先鋒だった。

三遊亭歌笑を演じるにあたり、芸熱心な渥美清は、撮影前から歌笑研究に励み、歌笑とゆかりの深い3代目三遊亭金馬、2代目歌笑、三笑亭笑三らに付きっ切りで在りし日の歌笑の仕草語り方を学んだ。その成果は渥美の表情に現われ、渥美演じる百面相が歌笑そのままであると関係者を驚かせた。公開時の『月刊平凡』には「歌笑の泣き笑い人生を、しばいのうまいコメディアン、渥美清が故人に生きうつしで演じています」と書かれている。

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