それから (1985)
日本文学最高峰の『古典』と『感性』の究極の融合。森田芳光監督、松田優作主演、衝撃的文芸大作と絶賛された漱石ロマンの最高傑作。 明治42年。長井代助は高等遊民を自認しているが、30歳を迎え、日々親族からは身を固めるように促されていた。そんなある日、親友の平岡常次郎からの便りが届く。仕事を辞し、3年ぶりに東京へ戻ってくるとのことだった。それは、彼の妻・三千代との再会を意味していた。かつて、大学時代、代助は秘かに三千代に想いを寄せていたが、平岡も同じであることを知った代助は、三千代を平岡のもとに嫁がせたのだった。3年ぶりに再会した平岡は様変わりしており、さらには代助の生活態度をなじるのだった。
キャスト
- 松田優作 — Daisuke Nagai
- 藤谷美和子 — Michiyo Hiraoka
- 小林薫 — Tsunejiro Hiraoka
- 風間 杜夫 — Suganuma
- 笠智衆 — Toku Nagai
- 中村嘉葎雄 — Seigo Nagai
- 草笛光子 — Umeko Nagai
- 小林勝彦
- 川上麻衣子 — Kozome
- 羽賀研二 — Kadono
- 佐藤恒治
- 小林トシ江
豆知識
- 原作:それから
『それから』は1985年11月9日公開の日本映画。監督は森田芳光、主演は松田優作。カラー、PANAVISION、130分。東映製作、映倫番号:111792。
製作
企画はサンダンス・カンパニーの古澤利夫(藤峰貞利)。20世紀FOXの社員でありながら、1969年からの旧知だった角川春樹に請われ、FOXから名前を出さない等の条件の下に承諾を取り付け、1976年の角川春樹事務所立ち上げ時から角川映画の全作品の製作宣伝配給興行部門で角川春樹の黒子役に徹していた。1980年代になって角川春樹自身が監督業に進出、さらに配給業に乗り出したことを不安視し、1985年の『カムイの剣』の劇場編成を最後に角川春樹から了解を得て角川映画から手を引いた。その後、東映社長の岡田茂から年に2本ペースの映画製作に誘われたことから、FOXから許可を取り、同社に籍を置いたまま「サンダンス・カンパニー」を設立した。社名は古澤の一番好きな映画『明日に向って撃て!』の著名なロバート・レッドフォードの役名からだった。こうした事情でここでも表に名前は出せず、企画・製作・プロデューサークレジットは「藤峰貞利」で統一した。
東映は1977年の『人間の証明』以来、角川春樹事務所と長く蜜月関係にあり、配給のほとんどを東映洋画が請け負っていた、1985年に角川が自主配給の方針を打ち出したため、提携を解消した。洋画系劇場に掛ける作品が減ったことから、岡田茂東映社長が東映洋画に映画製作を指示し、第一回の自主製作として本作が製作された。
本作は夏目漱石原作であるが、ヒントになったのはデヴィッド・リーン監督の『逢びき』で、古澤と松田優作が映画の話をしてた時、優作が大好きなロバート・デ・ニーロが今、ニューヨークで『逢びき』のリメイク『恋におちて』を撮っているという話になり、「あんな映画をやってみたい」と優作が話したことが本作の企画に繋がった。
古澤が「松田・森田の企画」として最初に構想していたのは『さよなら』というタイトルの核シェルターのセールスマンの話で、国会議事堂の下に政治家専用のシェルターがあるというプロットだった。森田の妻・三沢和子がホンを書いたが、ニューヨークで書いたこともあり、古澤から「何10億円かかるんだ!」と蹴られた。ほかにもたくさんの企画が挙がっていたという。
などと述べ、ビデオを始め、ニューメディア映像全盛の時代背景から、映画人口の減少など、映画産業の危機が叫ばれて久しかったが、森田は
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