ビー・バップ・ハイスクール

ビー・バップ・ハイスクール (1985)

男よ、不良になれ 女よ、お嬢様になれ

つて進学校だった私立愛徳高校。すっかりその面影をなくした学園で一番のツッパリ問題児2人組・ヒロシとトオルは、この春留年が決定した。2年生を繰り返すことになった2人は、以前から恋焦がれていた1年下の泉今日子と同じクラスになる。校内でも次々に舎弟をおいて順風満帆な学園生活を送っていたが、ある日、戸塚水産高校の連中とのケンカがもとで、今日子まで巻き込む事件が起きてしまう。

公開日
1985-12-14
TMDB
6.7 / 10 (3)
上映時間(分)
1時間35分
ジャンル
コメディ, アクション
監督
那須博之
シリーズ
ビー・バップ・ハイスクール

キャスト

豆知識

『ビー・バップ・ハイスクール』は、漫画『ビー・バップ・ハイスクール』を原作とした1985年12月14日公開の日本映画。きうちかずひろの人気コミックの実写版。ヒロシ&トオルに清水宏次朗、仲村トオル、マドンナ・今日子に中山美穂が扮して巻き起こす、ギャグとアクション満載の痛快青春映画。

製作

ウイングス・ジャパンの社長でディレクターズ・カンパニー(ディレカン)の副社長でもあった長谷川安弘が原作に目をつけ、東映に企画を持ち込み、薬師丸ひろ子主演の『野蛮人のように』の併映作を探していた原田宗親東映配給部長、黒澤満セントラル・アーツ代表(東映ビデオ取締役)、鈴木常承東映常務取締役とで協議しゴーサインが出た。岡田茂東映社長は「東西の撮影所が作る作品は、長年の伝統からおのずと滲み出る独得の匂いがあるから、東映の体質にないような作品を作るために洋画配給部の原田(宗親)にあえて映画製作に取り組ませた」などと述べている。

きうちかずひろの元へは東映の前に、にっかつと日本テレビから映像化の話があったが、にっかつからは「コメディタッチの明朗青春映画的なものを作りたい」と言われ、ロマンポルノイメージもあって気が進まず、日本テレビはバラエティ制作班から「バラエティ乗りでドラマを」という申し出が気に入らず流れた。きうち自身としては「東映か、ディレカンあたりに映画化してもらえないかなあ」と思っていたところ、ディレカンの長谷川副社長から「お会いしたい」と言われ福岡で会った。するとディレカンと一緒にセントラル・アーツの黒澤プロデューサーも同席し、両方合体したきうちの希望通りのお話で、黒澤から名刺をもらうと「黒澤満というと『探偵物語』(の本編)が終わった途端、タイトルロールに出てくる名前の人だ!」と驚いた。

まだ原作がヒットする前に高瀬将嗣が、某撮影所の関係者に本作の映画化を薦めたところ「『嗚呼!!花の応援団』(1976年日活)の二番煎じもいいところ」とまともに取り合わなかったというが、黒澤は『嗚呼!!花の応援団』製作当時の日活の撮影所長であった。

黒澤は原作を読みながら自身が日活の撮影所長時代に採用した那須博之を思い出し、那須は当時ロマンポルノを撮っていたが、本来はアクション物が好きと言っていたのを覚えていて、那須がちょうどフリーになろうとしていたため、声をかけると「せひ、やりたい」という返事をもらい、岡田茂東映社長に「那須博之は力があります」と本作の監督を推薦した。岡田は「ヤング番組はよく判らない」と口を出さず、黒澤を信頼し那須の抜擢を承認した。黒澤は脚本の那須真知子もテレビドラマ『探偵物語』でのハードボイルドタッチのホンも非常に上手く、夫の那須同様、興味を持っていたため、脚本も那須真知子に決めた。アクション監督には那須博之が高瀬道場主宰・高瀬将嗣を指名した。プロレスファンの那須は『美少女プロレス 失神10秒前』(1984年)で、主演の山本奈津子と小田かおるの二人に本格的にプロレス技を仕込んでくれた高瀬の指導を高く買っていた。

1970年代後半からの大作路線でプログラムピクチャーは踏みつけられ、1980年代に入り東映本体は模索が続き、東映の一セクションである東映セントラルフィルムが、松田優作主演映画や、石井聰亙作品、『竜二』などを次ぎ次ぎにプロブラムに乗せ、本家東映から消えかけていた"不良性感度"を死守していた。東映セントラルの中核プロデューサーである黒澤が那須を監督に抜擢し、黒澤がいたから『ビー・バップ・ハイスクール』で那須は力を示す場を与えられた。黒澤は那須を迷走させることなく、コントロールできるプロデューサーであった。

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