忍ぶ川

忍ぶ川 (1972)

The relationship between Tetsuro, a university student from a disgraced, burdened family, and Shino, a waitress supporting her impoverished relatives. The couple decides to marry despite the significant emotional and social hardships each faces, viewing their love as a means to overcome the shame and despair inherited from their pasts.

公開日
1972-05-25
TMDB
6.5 / 10 (13)
上映時間(分)
2時間1分
ジャンル
ドラマ, ロマンス
監督
熊井啓

キャスト

豆知識

『忍ぶ川』(しのぶがわ)は、三浦哲郎の小説、またそれを原作とした映画、ドラマ化作品である。小説は『新潮』1960年10月号に掲載、同年に第44回芥川賞を受賞した。

製作

三浦哲郎の原作が発表された1960年に東宝が映画化権を獲得。当時熊井啓は日活の助監督だったが、映画化しようと脚本を書き上げた。また松竹の前田陽一も三浦と早大時代の友人で、岩下志麻を主役に映画化を目論んだが、松竹に蹴られた。そこで前田は熊井に話を持ち掛け、熊井を三浦に紹介、三浦から「僕が諦めない限り他の誰にも映画化権を渡さない」という約束を取り付けた。そこへ吉永小百合事務所が企画、映画化権の取り合いになった。

熊井は構想段階では吉永小百合を主演に予定していたが、劇中のシーンの問題などから吉永の親族と軋轢を起こし、結局吉永の主演が実現しなかったばかりか、後に吉永の母の手記で名指しされ痛烈に批判されるなど、しこりが残った。映画の実現まで10年以上を要したため、幻の企画と呼ばれた。

熊井監督は白い雪のニュアンスを表現するためにあえて映画を白黒にした。当時としては珍しい一年半がかりの撮影。原作の八戸を始め、日本各地をロケハンし、初夜シーンの撮影は山形県米沢市に最終決定した。1971年2月15日に当地でクランクインを予定していたが、熊井が深酒で胃を壊し喀血。病院に担ぎ込まれたが危険な状態で、録音の太田六敏らが輸血を買って出て一命を取りとめた。このため熊井の療養が夏までかかり、1971年7月9日、改めて夏のシーンからクランクインした。1972年2月14日からは冬の米沢ロケ。この年の米沢は70年ぶりの暖冬といわれ、例年なら軒先まで積もる雪が少なめで30センチ程度。初夜シーンの撮影は当地の李山(すももやま)の築150年の農家で行われた。撮影を前に熊井は「はやりのポルノ映画ではなく、これは日本の伝統的な儀式であり、二人の生への復活でもある」と説明した。また栗原小巻は「この作品を大女優への踏み台にしたい。本当は心配なんですけど、しょうがありませんわ。女優ですもんね。

米沢ロケは栗原と加藤剛、栗原の姉役の山口果林が参加したが、山口がちょうどNHKの朝ドラ『繭子ひとり』のヒロインを務めていたため、建立300年という普門寺での法要シーンの撮影では、栗原以上にファンからのサイン責めに遭い、悲鳴を上げた。

都電が走る永代橋から映画が始まり、舞台はほぼ東京。東京のシーンは浅草などで映る一般人も半袖のため1971年夏の撮影と見られる。志乃(栗原小巻)は洲崎の生まれだが、深川の出身と話す。哲郎(加藤剛)は津軽の素封家の生まれだが、単に深川が好きで二人で深川を訪ねる。廃止直前の都電砂町線東陽公園停留所で降り、木場と洲崎を歩く。木場は哲郎が行方不明になった兄(井川比佐志)との思い出を捏造する舞台。洲崎橋を渡った先に「洲崎パラダイス」と書かれたアーチ形の門が映り、二人で洲崎の街を歩き、「洲崎特殊飲食業組合」と書かれた提灯が掛かり、当地のちょいの間がたくさん映るが、実際の洲崎なのかセットなのかは分からない。深川八幡祭のシーンは実際の映像を使っている。四分の一の橋の上で栗原が「やっぱし」と言う。この後二人で浅草に行き、浅草寺の全景を俯瞰で捉えたシーンがある。境内でホオズキを売る露店が映るシーンがあり、浅草のほおずき市と見られる。仲見世通りはまだあまり整備されていない。

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