真田幸村の謀略

真田幸村の謀略 (1979)

戦国の智将・真田幸村は、見事、天下の覇者・徳川家康の首を獲るのか!?

関ヶ原の戦いに敗れた真田幸村は、高野山麓に身を潜めながら、天下統一を成さんとする徳川家康の首をうかがっていた。そんな折、父の昌幸が家康の策にかかり命を落とす。幸村は、打倒家康のため全国から腕利きを集めるべく、戸沢白雲斎のもとを訪ねるが、家康への協力を拒んだために、既に服部半蔵に殺されていた。師を亡くした猿飛佐助が仲間に加わり、白雲斎の残した“草の者”人名帖を頼りに、次々と忍びの者たちが幸村のもとへ集められた。かくして、ここに真田十勇士が結成された!

公開日
1979-09-01
TMDB
5.5 / 10 (11)
上映時間(分)
2時間28分
ジャンル
アクション, ドラマ
監督
中島貞夫

キャスト

豆知識

『真田幸村の謀略』(さなだゆきむらのぼうりゃく)は、1979年(昭和54年)9月1日に公開された日本映画。製作・配給は東映。上映時間は148分。監督は中島貞夫、主演は松方弘樹。

製作

製作の準備に3年余(企画2年、脚本1年余)を費やし、さらに製作に約2年をかけた。総製作費8億円、エキストラのべ4,000人、馬500頭、鎧700着が用いられた。

かつて中村錦之助(のちの萬屋錦之介)が真田十勇士・はなれ猿の佐助に扮して主演した『真田風雲録』(1963年)は、隕石の地球落下の場面から始まっており、それから16年後に製作される本作では、より奇抜な趣向を取り入ようとする機運があった。『キネマ旬報』1979年9月上旬号によれば、当初、脚本チームの中心となっていた松本功がアクション部分を、田中陽造が十勇士に関する設定やドラマ部分を引き受け、ストーリーは昌幸・信幸と幸村のいわゆる「犬伏の別れ」に焦点を当て、最終的には監督の中島貞夫に委ねる予定だったが、第1稿はまとまりに欠けるものになった。

代わって脚本チームのメインに座った笠原和夫には、「新・十勇士」を「『影』の民衆の代表」としたい構想があり、その案を実行したと劇場公開時のパンフレットで明かしている。すなわち、十勇士のうち、海野六郎、望月六郎、筧十蔵、由利鎌之助を関ヶ原の戦いで敗走した浪人とし、根津甚八を山窩、三好清海入道を朝鮮王族の姫・ジュリアおたあ(史実では清海入道とおたあは別人)、三好伊三入道をその従者・尹三英とした。これに真田家の家臣である霧隠才蔵、小者の息子である穴山小助と、正体不詳(実は宇宙人)の猿飛佐助を加えて「新・十勇士」とした。ただ、こうして話を作っていくと、真田幸村を「ある種高貴でおかしなやつ、いわゆる悪党」として描かざるを得ないが、その幸村が草の者から一番遠いという自己撞着が生じ、そのことが笠原自身を悩ませていたともいう。

『赤穂城断絶』が『柳生一族の陰謀』の半分以下の興行成績に終わったことから、東映社長(当時)・岡田茂は大型時代劇の存亡を懸けた第3弾の主演に松方弘樹を起用した。前2作の主演だった萬屋錦之介はトメ名の悪役に回った。

パンフレット巻末の「製作規模」によれば、劇中に建てられた長さ70メートル、高さ8メートルの出城・真田丸のセットは、延べ200人のスタッフが9日がかりで設営したもので、3,000万円を費やした。

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