八甲田山

八甲田山 (1977)

天は我々を見放した!

明治34年 ロシアとの戦争が差し迫っている中、ロシアの厳しい冬の気候での戦闘経験の乏しい日本軍は寒冷地での戦闘訓練の必要を痛切に感じていた。そこで極寒の気候である青森県八甲田山において雪中行軍演習を執り行うことを決定した。雪中行軍において既に実績を持つ青森歩兵第五連隊神田大尉および第三十一連隊徳島大尉に真冬での八甲田山行軍遂行命令が下る。事前の予備調査では少人数で天候にも恵まれていたため特に問題とはならなかったが、これが冬の八甲田山を軽視する方向に進んでいってしまう。八甲田行軍が始まると事前調査とは比べ物にならないほど天候が荒れ始め、気象記録から過去最大級の低気圧が接近しているため演習の中止を進言する神田大尉であったが、演習責任者である彼を差し置いて同行していた上官は演習中止を許さず冬山を軽視したまま極寒地獄の修羅場となる八甲田山へ死の行軍を続けてしまうのであった…

公開日
1977-06-04
TMDB
6.6 / 10 (17)
上映時間(分)
2時間49分
ジャンル
ドラマ, 履歴
監督
森谷司郎

キャスト

豆知識

  • 受賞:0 · ノミネート:1

『八甲田山』(はっこうださん)は、新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』を原作とする日本映画。橋本プロダクション・東宝映画・シナノ企画の製作で1977年に公開された。

製作

2004年に発売されたDVDに収録された「橋本忍と学生の座談会:映画『八甲田山』を観て」での橋本忍の言及によれば、野村芳太郎から「『八甲田山死の彷徨』を読まれましたか」と勧められ、読んで面白いことは分かったが、根本的に極寒の環境でカメラ等の撮影機材が耐えられるのか分からないから、その年の一番寒い時期に八甲田山へ機材を持って撮影を試したら、撮影自体は可能なことが分かり、「じゃあやろうかとなった」等と話している。原作「八甲田山死の彷徨」の映画化を思い立ったのは橋本忍。1974年2月に新田次郎から映画化権を獲得。製作のイニシアティブは橋本プロが執った。

本作は初め東映に持ち込まれたが、明治物は当たらないという映画界の傾向を無視できなかった岡田茂東映社長が「そんな蛇腹(明治時代の軍服)の話が受けるかい」と承認しなかったため、東宝で製作されることとなった。野村芳太郎の所属する松竹、森谷司郎の所属する東宝に撮影済みのフィルムの一部を見せ、シナリオを渡し、東宝から「条件を聞きたい」とのオファーを受け、東宝での配給が決定した。

役柄は不明であるが山村聡も出演するはずだった(一部のポスターでは、山村の名前が入る物もある)。山田役は当初丹波哲郎にオファーされていたが、丹波が厳冬期の青森での長期ロケに難色を示したため、出演シーンの大半がスタジオ撮影である児島大佐役に変更になり、代わりに三國連太郎に山田役が回されたとされる。

徳島大尉を演じる高倉健は本作出演にあたり、日本で初めて歩合契約を結び、基本出演料1,500万円の他、配収25億円の大ヒットで、後から3,000万円が高倉の懐に入った。

脚本の橋本忍は、当初群馬県の温泉地で撮れないものかと考えていた。しかし野村芳太郎や森谷司郎と八甲田の山々を歩いて見て、ここで撮るしかないと考えを変えた。野村芳太郎から「映画には空気が映る」と言われていたからという。

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