東京ディープスロート夫人

東京ディープスロート夫人 (1975)

Kumi Taguchi is a model who leaves her boxer boyfriend after he sustains an injury. She meets and quickly marries Hideo, the heir to a corporate empire. Hideo's father, Takehiko, lusts after Kumi. Takehiko sends his son away, ostensibly on a business trip, but actually so that he can be murdered by Takehiko's henchmen. Takehiko seduces Kumi, but is frustrated when she refuses to perform oral sex on him. Angered, Takehiko forces Kumi to undergo surgery in which her clitoris is transferred to her throat, thereby requiring that she engage in oral sex in order to have an orgasm. Hideo, the supposedly murdered son, returns having paid off his assassins. Hideo shoots and kills his father, but Kumi grabs the gun and kills Hideo so that she can inherit the family's fortune

公開日
1975-12-05
TMDB
4.4 / 10 (7)
上映時間(分)
1時間17分
ジャンル
ドラマ, ホラー
監督
向井寛

キャスト

豆知識

  • 原作:ディープ・スロート

『 東京ディープスロート夫人 』(とうきょうディープスロートふじん)は、1975年12月6日公開の日本映画。東映東京撮影所製作・東映配給の東映ポルノ。R18+。

製作

1975年の正月映画『エマニエル夫人』の審査に映倫維持委員長として関わった岡田茂東映社長は、同作のメガヒットに驚き、1974年2月16日に公開した『聖獣学園』の「想像できない不入り」で撤退していた東映ポルノの本格再開を表明した。再開にあたり、「日活ロマンポルノより見ごたえのあるエロ作品を作れ。向こうが五回なら、こっちは七回ベッドシーンを入れろ。ともかくエロだ、エロだ、エロだ!」などと、極秘指令を現場に出した。

『エマニエル夫人』は多くの便乗商売を生んだが、日本の映画会社も数々の便乗映画を製作。「清く正しく美しく」をモットーとする東宝まで、ジャネット八田を"和製エマニエル"に仕立て『櫛の火』を作った。

また、日本のメジャー会社でポルノを製作していた東映と日活で、『東京エマニエル夫人』という同名タイトルで映画製作がバッティングし、日活ロマンポルノが先に五月みどり主演で『東京エマニエル夫人』を製作しようとしたが、五月は若い頃世話になった東映に義理立てし、この誘いを断った。これを受け、東映は自社制作のテレビドラマ『プレイガールQ』41話(1975年7月14日放送)に五月をゲスト出演させ、五月のお色気で視聴率アップを狙って、"東京エマニエル夫人"を演じさせた。五月は映画・テレビで初めてラブシーンを演じ、テレビの1時間枠で10人の男性を相手に濡れ場を演じ、当時のテレビコードぎりぎりの線まで攻めた。同回は番組始まって以来の最高視聴率19.2%を記録した。これを見て岡田東映社長は、五月みどりを主役に『五月みどりのかまきり夫人の告白』を製作した(1975年11月1日公開)。

これと並行して外国人女優の招聘に実績を持つ東映は、1975年夏の段階では『エマニエル夫人』そのものの便乗映画として同作のヒロイン・シルビア・クリステルを日本に招いて『エマニエル夫人 京都の休日』の製作を計画していた。しかし『エマニエル夫人』を配給した日本ヘラルドが「営業妨害だ」と怒って頓挫した。この失敗により田口久美の横取りに方向転換。日活が田口をギャラ70万円で起用して製作した『東京エマニエル夫人』は1975年7月1日に公開され、日活ロマンポルノ始まって以来の配収3億円の大ヒットを記録していた。日活はすぐさま続編『東京エマニエル夫人 個人教授』の製作を決定したが(1975年11月1日公開)、日活が田口を『東京エマニエル夫人』の主役に抜擢した切っ掛けは、田口は日活より先に東映の『ウルフガイ 燃えろ狼男』で映画デビューしており、その撮影時に撮られたグラビアが「エマニエル+モンロー=田口久美」というタイトルで男性週刊誌に掲載されたのを見たからだった。

監督は未定で製作が進んでいたが、東映洋画が配給したアメリカのハードコア映画『ディープ・スロート』がこの年夏に8週間のロングランを記録する大ヒットで、これを日本版に編集した功績から、"ピンクの巨匠"向井寛を監督に抜擢した。プログラムピクチャー全盛期の当時に於いては、8週間のロングランは金字塔だった。向井は本作まで150~160本ピンク映画を撮っていたが、大手映画会社に乗り込んでの撮影は初めて。1973年の『団地妻㊙研究会』の撮影では、大辻伺郎と新樹みどりに本番をさせて、新樹が「口ほどにもなかった」などと週刊誌で喋りまくり、大辻が自殺した。ピンク映画の監督の中でもタチが悪いと言われ、業界では"本番"監督と噂されていた。ピンク映画とは段違いの製作費に向井は「大手映画会社を揺さぶるようなのを撮って見せる」「いかに勃起するかがぼくの映画の基本姿勢。スゴイのを撮って見せますよ。キャストは最高だ」などと豪語した。

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