道頓堀川

道頓堀川 (1982)

もう あともどり でけしまへん

邦彦がまち子に会ったのは、母の納骨の日の早朝だった。彼が大黒橋の上で道頓堀の絵を書いている時に、足の悪い犬を追ってきた彼女と会ったのだ。邦彦は道頓堀川に面した喫茶店「リバー」の二階に住み込み昼は美術学校に通い、夕方からは店で働いていた。「リバー」のマスター武内の一人息子・政夫は邦彦の高校時代の同級生であり、日本一の玉突きの名人になるといい武内と衝突、家を出ていた。武内は納骨を済ませたその日、精進おとしだといって、邦彦を行きつけの小料理屋「梅の木」に連れていった。邦彦はそこでまち子に再会した。彼女は店のママで、もとは芸者だが今は不動産業を営む田村がパトロンだった。その日から邦彦はカンバスにまち子と足の悪い犬の絵を書くようになった。しばらくして犬がいなくなり、邦彦とまち子は道頓堀川筋を探したが見つからなかった。そのお礼にとまち子は邦彦を夕食に誘い、その夜「梅の木」の二階で二人は結ばれた。息子の不始末を知った武内は政夫を探して、千日前のビリヤード「紅白」を訪れ、そこの女王人ユキから政夫が東京まで勝負に出かけたこと、そして、ユキがかつてビリヤードしていた武内にどうしても勝てなかった玉田という老人の孫娘であることを知らされる。武内は息子と未来を賭けて勝負しようと思い「紅白」で特訓を始めた。その頃まち子はパトロンと別れアパートを借り、邦彦と生活しようと邦彦を探し、口説いた。邦彦が学校を卒業するまでの二年間だけでいいから一緒にいたいというまち子に、邦彦は大きくうなずいた。「紅白」では東京から勝負に負けて帰った政夫と武内の試合が始まった。試合中に武内は政夫が幼ない頃、ビリヤードのために妻の体を他の男に売り、金を作ったことを告白した。父と子の争いを見ていられなくなった邦彦は外へ出ると、「リバー」の常連のかおるが、幇間の石塚に包丁を振りかざしているのを見る。それを止めようと二人の間に入るが一つきに刺されてしまう。帰りの遅い邦彦を待ちながらまち子は窓の外を見ると、いなくなったあの犬がエサを漁っていた。犬を抱き上げ頬ずりするまち子の後を、赤く点滅させたパトカーが、道頓堀の方向へ消えていった。

公開日
1982-06-12
TMDB
6.5 / 10 (13)
上映時間(分)
2時間6分
ジャンル
ドラマ, ロマンス
監督
深作欣二

キャスト

豆知識

『道頓堀川』(どうとんぼりがわ)は、1982年公開の日本映画。監督は深作欣二。主演は、松坂慶子と真田広之。宮本輝の同名小説の映画化作品。

製作

製作としてクレジットされている松竹の織田明プロデューサーは「深作欣二監督が1981年の『青春の門』撮影後に、松坂慶子主演・野上龍雄脚本で五木寛之の『朱鷺の墓』を映画化したい」と自身に要請したと話しているが、深作は「五木寛之原作の映画でえんえん松竹にひっつかまっていたんです。『朱鷺の墓』という小説の映画化を松竹から提出されて…『青春の門』で野上さんが脚本、松坂君が主演。そこらへんからの因縁もあって、松竹が『朱鷺の墓』を松坂君でやってくれと。で、野上さんに預けておいたところ、えんえん出来上がらない。『青春の門』の二の舞かと僕は思いましたね」などと、織田プロデューサーとは反対の証言をしている。深作は「何とかなるだろうと無責任に引き受けたものの、どうも上手くいかないんですよね。で、結局、(『朱鷺の墓』は)駄目だと。『いまさらそんな、困る』と言われたんだけど、できないものはできない。そしたら切羽詰まって出てきたのが『道頓堀川』だったんですよ。

深作は「華やかな話ではあるんだけど、それだけじゃなく、何かああいう大阪の盛り場の群像というところが映画的な素材ではあったのかも知れません。野上龍雄さんがすごく乗って脚本を書いてくれた、折に触れて野上さんはその話をしますね。あの台詞を思いついたときは嬉しかったとかね。大筋は原作と同じですけれども、ディテールはかなり違います。原作のままだと、少年が主人公になっている分だけ、松竹の看板である松坂君が霞んじゃう。その点について松竹からもまち子(松坂)のディテールを少し際立たせて欲しいと注文があったんです」と述べている。松竹は少しではなく、『道頓堀川』では松坂が主演できる内容でないため、松坂の主演作として納得できる大幅な脚本書き直しを要求していた。深作をよく知る東映の関係者から、深作に振り回される松竹は笑いものにされていた。

深作は『復活の日』『青春の門』『魔界転生』に次いで、突然のメロドラマで、自身でも「何とも説明しきれない暴走ぶりでした」「メロドラマを楽しんで撮るといっても、今までやったことがないくらいのことで食い付くあたりが中途半端な証拠なんで。『魔界転生』は自分の趣味性みたいなものがあって、興行成績もかなり良かった。当たらなきゃいけないというのはまずありますけど、内心は当たらない映画もたまにあっていいじゃないかと、撮影中、そういう呟きみたいなものをしょっちゅう言ってました(笑)そういう意味では『道頓堀川』という企画そのものが難しかったわけです」と述べている。

まず松坂慶子ありきの企画だった。それで相手役に真田広之が決まったが、濡れ場もあり、深作は真田の身体が筋肉質過ぎで不安だった。真田も「僕の筋肉もりもりはバレないですかね」と不安を口にしたが、深作が「ラブシーンもアクションだから」と不安がる真田を元気付けた。しかし真田の筋肉の付き方は半端じゃなく、後半、松坂との濡れ場シーンでは深作も真田の体はサイボーグより凄くてビックリしたという。佐藤浩市は『青春の門』からの流れでのキャスティング。80年代は本作以降、『蒲田行進曲』『人生劇場』『上海バンスキング』『火宅の人』『華の乱』と松坂=深作コンビの作品が続くが、深作は振り返って「80年代は女性観客を増やしていく時代だったと思う」と述べている。

冒頭『ザ・レイプ』上映中の看板が、1:50分ぐらいに安岡邦彦(真田)がアルバイトで北新地のビル屋上の看板絵を書くシーンで、梅田東映ホールで上映中の『真紅な動輪』とアニメポリス・ペロの看板が掛かるため、撮影は1982年5月頃と見られ、公開ギリギリまで撮影を行っていたとものと考えられる。

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