(秘)トルコ風呂 (1968)

A young woman leaves her hometown to find work in the city

公開日
1968-01-01
上映時間(分)
1時間26分
監督
村山新治

キャスト

豆知識

『(秘)トルコ風呂』(まるひトルコぶろ)は、1968年の日本映画。大原麗子主演、村山新治監督。東映東京撮影所製作、東映配給。R18+。

製作

当時の東映の新人拘束期間は5年間で、大原麗子は1970年7月がその終了期間であった。以降は、東映と再契約するか、他の映画会社或いは芸能事務所に移籍するか、フリーになるか等、大原本人の選択次第であったが、大原は東映入社3年で主演こそなかったが助演がひっきりなしに続くということは、東映としても将来を期待している女優ということで、当然契約延長を視野に入れ、大原に初主演がオファーされた。

大原が本作の主演に至った経緯は少し複雑である。大原が初主演作として最初にオファーされたのは本作ではなく『怪談 蛇女』(1968年7月12日公開)だった。『週刊映画ニュース』1968年5月25日の記事に『怪談 蛇女』の出演者として大原の記載がある。"怪談もの"は1960年前後がピークで、この当時はブームが去ったと見られていたが、1967年夏に大映が『四谷怪談』『怪談蚊喰鳥』の旧作を再映(リバイバル)し、これが意外にヒットし、映画業界を驚かせた。味をしめた大映は、この1968年の春休みに東映のまんがまつりにぶつける形で『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』に季節外れの『妖怪百物語』をセットし公開した。さらに夏にも『牡丹燈籠』と『怪談おとし穴』の怪談二本立てを公開すると発表した。

単なる怪談ものでは興行力が弱いと判断した岡田は、エロ要素を加えようとし大原を脱がそうとしたが、大原から「裸になってもいいし、夜の女だってやるけど、わたしのイメージをぶち壊すようなおバケ映画で裸になるのはイヤ! いまさらおバケ映画に出られるか」などとこれを蹴った。岡田は石井輝男を招聘して撮らせた"異常性愛路線"第1作『徳川女系図』(1968年5月1日公開)でも大原麗子と小川知子をキャスティングしてやはり脱がそうと画策したが、二人に断られていた。東映の専属女優が脱がないため、ピンク女優を大量投入したのが『徳川女系図』。東映に限らず、当時の各社のエログロ映画の量産で、女優に娼婦役などがキャスティングされることが増え、それまで映画会社のいいなりだった女優たちが腹を立て、各社の看板女優たちの出演拒否が相次いだ。『娼婦鳥子の歌』で娼婦役をキャスティングされ、出演を拒否した松竹の看板女優・倍賞千恵子は松竹を干されると噂された。

『怪談 蛇女』の代わりに大原が選んだのが本作『㊙トルコ風呂』だった。これもすんなり大原主演で発案された企画ではなく、本来は大信田礼子の初主演作として企画されたものだった。東映東京撮影所は1968年5月21日公開の『産業スパイ』のダンサー役で出演した大信田の肉体美に可能性を感じ1968年6月、大信田と準専属契約を結んだ。その大信田主演第一作として企画されたのが本作で、最初のタイトルは『赤線浮世風呂』だった。「あのプロポーションは男の目を楽しませるには十分。この辺でズバリ、惜しみなく見せるものをお見せするかも知れない」「売春、集団乱交、腹上死なども飛び出すスウェーデン映画顔負けの物凄さ。ピンク女優を使わないでどれだけ迫力のある映画になるか」などと東映は豪語したが、しかしヌードになることに積極的ではなかったとされる大信田と東映サイドで脱げ・脱がないの攻防があったとされ、結局大信田は降板し、『怪談 蛇女』を拒否した大原が代わりに本作に抜擢された。

東映同期入社の小川知子が「『続大奥㊙物語』で裸にされかかった」と腹を立て、東映と揉めて退社し、シングル「ゆうべの秘密」を大ヒットさせ、鮮やかに歌手転向を果たしたことを横目で見ていた大原は、シングル『ピーコック・ベイビー』で歌手デビューを果たすが、上手くいかず、女優業に復帰。社命を拒否したペナルティとして「夜の青春シリーズ」をさらにハードにした本作に出演させられたという説もある。大原はそれまでの映画での「夜の青春シリーズ」や「夜の歌謡シリーズ」でのホステスやズベ公役で、梅宮辰夫に散々弄ばれる役とは違い、『ヤング720』(TBS)の司会や『顎十郎捕物帳』で清純派として茶の間での人気を高めていたため、また以前のスレた役に逆戻りかとファンを驚かせた。大原は「会社の売り方はともかく、私の役は隣りの小児マヒの子供や、びっこのハトを愛している天使のような少女という設定なの。

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