ガキ帝国

ガキ帝国 (1981)

あすのことを思いわずらう間もなく きょうを砕けたる者たち 少年たちは、あすという日をもたなかった

万博を3年後に控えた大阪を舞台に、ケンカと遊びに明け暮れる少年たちを描いた青春バイオレンス。ピンク映画を手がけてきた井筒和幸監督の名を一躍世間に知らしめた井筒監督の代表作の1本。昭和42年。大阪ではキタの北神同盟とミナミのホープ会の二大グループが激しい抗争を繰り返していた。そんな中、少年院帰りのリュウと仲間のケン、チャボは、徒党を組むことを良しとせず、自由に生きることをモットーとしていた。やがて、ある事件をきっかけに3人はホープ会を叩きのめすのだった……。

公開日
1981-07-04
TMDB
5.0 / 10 (5)
上映時間(分)
1時間55分
ジャンル
ドラマ, アクション
監督
井筒和幸

キャスト

豆知識

『ガキ帝国』(ガキていこく)は、1981年に公開された島田紳助・松本竜介主演、井筒和幸監督の映画作品。

製作

1981年の始めに製作費1,000万映画で有名なATGが、「今、1000万円で何が可能か?」を探るべく、「もう一度1,000万映画」というコンセプトで、1981年の1,000万映画として、『九月の冗談クラブバンド』『生きてゐる小平次』『近頃なぜかチャールストン』『KID NAPING BLUES(誘拐の唄)』(全て発表時のタイトル)とともに5本のうちの第一回作品として製作発表された。このときは5本はいずれも東京ではシネマ・プラセットで公開すると発表があった。1979年にATG二代目社長になった佐々木史朗のアイデアで、佐々木は「あくまで方法の実験。かつてのATGのテツを踏むつもりはない。恒常化して同じ監督に又やってもらうつもりもない。アイデアがある程度出切ったらピリオドを打つ」などと述べた。当時映画を1,000万円で作るということは、常識を打ち破るような"発想の転換"や"アイデア"が必要条件となり、スタッフ等にしわ寄せが来ると予想された。

『シティロード』1980年11月号の島田紳助・松本竜介のインタビュー記事に「物語は18年前に実際に起こった大阪のキタとミナミの不良少年グループと暴走族の壮烈な抗争事件を素材にしている」「来春公開される」などと書かれている。

製作費1,000万というローコストのため、スタッフは1日飯代のみ500円、エキストラは1日800円でこく使った。しかも撮影は朝7時から早くて夜9時10時、時には翌朝4時まで行った。同時期に長崎俊一監督が同じATGの1,000万円映画『九月の冗談クラブバンド』を撮影中で、1980年11月9日にバイク12台による大事故を起こし、長崎は一時は危篤状態に陥った。

Wikipediaで続きを読む · テキストはWikipedia、CC BY-SA 4.0。データはWikidata。

おすすめ