四季・奈津子 (1980)
君の目にボスホラスの海を見たー。
博多郊外に住む一家の4姉妹の次女・奈津子。ある日、四女とともに前衛劇団の公演を観たことで彼女の中の何かが触発される。そして、そこで知り合った写真家・中垣に自分のヌード写真を撮ってほしいと頼むのだった…。
キャスト
- 烏丸せつこ — Natsuko
- 佳那晃子 — Haruko
- 景山仁美 — Akiko
- Mitsuko Ota — Fuyuko
- 岡田裕介 — Dr. Sawaki
- 本田博太郎 — Nakagaki
- 風間 杜夫 — Tatsuo Kanamori
- 牟田悌三 — Natsuko's Father
- 岡田眞澄 — Takahito Mori
- 火野正平 — Kawamoto
- 宮本信子 — Mariko
- Ryuichi Tamura — Ryuichi Tamura
豆知識
『四季・奈津子』 は、五木寛之の長編連作「四季シリーズ」第一作。またそれを原作とする映画・テレビドラマ。
製作
企画は東映プロデューサー・吉田達。吉田は東陽一監督が1979年に『もう頬づえはつかない』を低予算で製作しながら大ヒットさせた手腕に感心し、東監督の制作プロ・幻燈社の前田勝弘プロデューサーに東映セントラルフィルムの基本製作費3000万円で映画を作ってもらおうと考えた。吉田はエロと暴力イメージの東映を改革したいと望んだ。1970年代後半、日本映画は角川映画などの大作映画やアニメーション映画がプログラムに乗ることが増え、また角川の影響で宣伝費が高騰し、製作費の10~20%が適当といわれた映画の宣伝費が製作費と同額といわれるまで跳ね上がり、元々、金のかかる映画事業がさらにバクチ性を増し企画も臆病になった。そこで目を付けられたのが女性映画だった。
『四季・奈津子』の単行本が1979年11月に発売されると凄い売れ行きで、吉田が映画化権を取りに行ったら、既に松竹が先行していて、発売元の集英社から「東映の映画としては不向きだ」と言われた。これは五木寛之を直接口説くしかないと判断し、五木に会ったら「監督は誰ですか?」と聞かれたため、まだ監督は未確定だったが「『もう頬づえはつかない』の東陽一監督でやろうと思っています」とポロっと言ったら「いいでしょう」とOKが出た。しかし企画を会社に提出したら岡田茂東映社長以下、誰からも賛成を得られなかった。諦めかけていたら当時の洋画配給部の部長で取締役営業部長でもあった鈴木常承から「三億円ぐらいで出来ないか?」と言われ、「やろうと思えば出来ますよ」と答えると「アラン・ドロンの(買付け)映画が一本三億円ぐらいだから、それを一本買ったと思ってやろうじゃないか」と言われ、東映としても女性ファンの開拓の意味もあり製作が決まった。岡田社長は「『四季・奈津子』は、昔だったら手を出す企画じゃない。
幻燈社は、1977年に東陽一監督と前田勝弘プロデューサーが作った映画の制作委託、下請け会社で、前田は東映からの提案に戸惑った。東陽一は原作を読み、最初は乗り気でなかったが、東映の吉田と前田がやる気満々で「メジャーだろうがマイナーだろうが観客には関係ない、新しい勉強も出来るかも知れない」と監督を引き受けた。東監督は女性映画の名手といわれた人だが、公開時のインタビューで「同じ傾向の映画のオファーが続いて、本当は女の映画なんかうんざりだったが『もう頬づえはつかない』の企画書に書いた、日本映画をなぜ日本の若い女性たちは見ないのかを分析し、アラン・ドロンの映画しか見ないとかいう女の子たちに、もう一度、日本映画を見せたい、今の若い男の子はつまらないので題材にしたくない、女は感性で生きていて話すことと行動は矛盾していても、総体が生々しい生き方をして感動もするから女性映画といわれるものを二本続けて撮った」などと話していた。東は初めての商業路線進出。
東映セントラルフィルムは製作費3000万円をそのまま制作集団に渡し、自由に撮らせるという形が岡田社長の方針だった。東映が製作費をまるまる負担すると、映画がコケても借金を負わないで済むためリスクは小さいが、逆にヒットした時は儲けがあまり入ってこない上、版権は東映が保有するため二次使用、三次使用での利益が少ない。当時は二次使用がまだ余りクローズアップされていなかったが、幻燈社は経済的リスクを背負う東映との共同製作を選んだ。本作の製作費がいくらかはっきり書かれたものがないため、製作費はいくらか分からないが、東映が1億2000万円を負担したとされ、東映と幻燈社の両方出資のパーセンテージが組まれ(出資比率は不明)、本作が製作された。
幻燈社は毎年、この作品を撮ったら解散しよう、やりたい物が出たときに集まって集団を組もうというのが最初からの考えで、常に1本やったら終わりという考え方だった。ところが本作が大ヒットし、幻燈社に4~5000万円の利益が出た。税金を払うのは業腹だから、もう1本やろうとなり、年々止められなくなったという。幻燈社は二作目までATGと組んでいたが、東映と製作費を持ち寄って製作した本作の成功で、下請けでもなく、才能を買われただけでもなく、自分たちの頑張れる表現の領域があることを見出し、その後の映画製作を続けることになった。
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