尼寺(秘)物語

尼寺(秘)物語 (1968)

Erotic Pinku film showcasing he life of Buddhist nuns during the Edo Period.

公開日
1968-02-22
TMDB
5.5 / 10 (4)
上映時間(分)
1時間29分
監督
中島貞夫

キャスト

豆知識

『尼寺㊙物語』(あまでらまるひものがたり)は、1968年の日本映画。主演・藤純子、監督・中島貞夫。東映京都撮影所製作、東映配給。

製作

企画、及びタイトル命名は、当時の東映常務兼京都撮影所(以下、東映京都)所長・岡田茂プロデューサー。

岡田が『大奥㊙物語』『続大奥㊙物語』に続いて、路線化していた「㊙シリーズ」第三弾。一、二弾の監督・中島貞夫は、更なる「大奥もの」の続編を岡田から要求された。中島が「もう勘弁して下さい」と拒否したら、「大奥をやらないんだったら尼寺で考えろ」と言われた。中島は「岡田さんには、今東光の『春泥尼』(日活が1958年に映画化)とかあの流れが頭にあったんじゃないかと思う」と話している。

岡田が東映京都の大改革の一つとして取り組んだ時代劇一辺倒のプログラムの一新として敷いた任侠路線は軌道に乗ったが、当初は任侠映画ブームは長く続かないのではと考えていた。このため任侠路線に続く強い路線を作りたくて、任侠映画の客層が高いことから、二本立ての組み合わせにはエロ映画(好色映画)がいいだろと考えた。岡田は早くからエロに興行価値が高いことを認識し、"不良性感度"と称して、エロ映画を長年に亘り企画し、単発的にはヒットは生まれてはいたものの、東映の女優の出演拒否が相次ぎ、なかなか路線化に至らず。1964年10月公開の『くノ一忍法』(中島貞夫監督)がヒットしたことで、光明が差し、1967年7月公開の『大奥㊙物語』大ヒットで、ようやくエロ映画の路線化に成功し、メジャー会社初の「エロ映画」量産に舵を切った。

今日では、ビッグネーム揃いの豪華キャスティングイメージであるが、公開当時の文献に「女優陣は強力といえない」と書かれているように、製作当時は主演の藤を始め、津川雅彦や若山富三郎などの男優陣も含め、出演者に大スターは当時いなかった。岡田茂は東映の女優を脱がそうと長年画策し、本作の主演は『続大奥㊙物語』での艶技を評価し、売出し指令を出していた小川知子の主演第二弾として1967年秋に製作が決まり、この時は水上勉に書き下ろしを依頼していると発表していた。また『大奥㊙怪談物語』という現代劇の「㊙もの」も企画中だった。ところが小川に「まだ裸が足りん!」と岡田が怒鳴り、気の強い小川が「青春路線をやらせるという約束で東映に入ったのに青春ものは1本もやらずに、いやらしい題名の映画ばかりをやらせる」とハラを立て、18歳で単身東映本社に乗り込み、東映を退社してしまった。やむなく藤純子の売り出しを試行錯誤していた岡田が、代わりに藤を主役に抜擢した。当時の藤はまだ中堅女優だった。

脚本クレジットの西沢裕子は、テレビで売れていて、翁長孝雄プロデューサーが連れて来た。監督の中島が『大奥㊙物語』のシナハンで、尼寺を取材していたため、資料はたくさんあり、新たな取材は必要なかった。

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