さよならジュピター (1984)
2140年ー遂に人類が宇宙を変える時が来た。
西暦2125年、太陽系外縁の開発に着手していた太陽系開発機構 (SSDO) は、エネルギー問題の解決と開発のシンボルとして、2140年の実現へ向けて「木星太陽化計画」(JS計画)を進めていた。その前線基地であるミネルヴァ基地で、計画主任・本田英二は長らく音信不通だった恋人マリアと再会を果たす。彼女は過激な環境保護団体「ジュピター教団」の破壊工作グループのメンバーとなっていた。英二は宇宙言語学者ミリセント・ウィレムに協力し、木星探査艇「JADE-III」で数万年前に太陽系を訪れた宇宙人の母船「ジュピターゴースト」の探査を行う。一方、英二の友人であるパイロット・キンと天文学者・井上を乗せて彗星源探査に向かっていた宇宙船「スペース・アロー」が謎の遭難を遂げる。計画責任者のマンスールの調査の末、原因はマイクロブラックホールとの接触によるものであり、しかも太陽に衝突するコースをとっている事が判明する。
- 公開日
- 1984-03-17
- TMDB
- 5.5 / 10 (11)
- 上映時間(分)
- 2時間9分
- ジャンル
- サイエンスフィクション, スリラー, ドラマ
- 監督
- 橋本幸治, 小松左京
キャスト
- 三浦友和 — Dr. Eiji Honda
- Diane Dangely — Maria Basehart
- 小野みゆき — Anita
- Rachel Huggett — Dr. Millicent Wilem
- Paul Tagawa — Peter
- Marc Panther — Carlos
- 平田昭彦 — Dr. Inoue Ryutarou
- 岡田眞澄 — Dr. Mohammed Mansur
- 森繁久彌 — Earth Federation President
- Kim Bass — Booker
- William Tapier
- Nobushi Takeuchi
豆知識
- 原作:さよならジュピター
『さよならジュピター』 は、1984年(昭和59年)3月17に公開された日本のSF映画(特撮映画)日およびその原案をノベライズしたSF小説。制作は東宝映画と株式会社イオ、配給は東宝。上映時間は129分。配給収入は3億円。
製作
1977年、アメリカではSF映画『スター・ウォーズ』が公開され、アニメ『宇宙戦艦ヤマト』のヒットも手伝って、日本ではSFブームが巻き起こった。『スター・ウォーズ』の日本公開は1978年となり、日本でもヒット間違いなしと言われており、この公開前に日本でも『スター・ウォーズ』に便乗したSF映画が各社で作られた。東宝では『惑星大戦争』、東映では『宇宙からのメッセージ』である。『惑星大戦争』の制作前に、東宝側から小松左京に原作提供の申し入れがあったのが、本作品を制作するきっかけとなった。かねてから日本でも『2001年宇宙の旅』に匹敵する本格SF映画を作りたいと念願していた小松は、即席の便乗企画でなく、改めて本格的なSF映画をということで、東宝と合意。東宝は急遽、『惑星大戦争』を制作し、1977年12月に公開した。
以前、1976年にアニメ制作会社東京ムービーに依頼されて用意したものの、テレビアニメ化に繋がらなかったアイデアとストーリーを原案に、小松は1977年暮れから、当時の若手SF作家を中心に集合をかけ16回に及ぶブレーン・ストーミングを行なった。参加したメンバーは、豊田有恒、田中光二、山田正紀、伊藤典夫、高齋正、川又千秋、鏡明、井口健二、横田順彌、高千穂遙らで、スタジオぬえの加藤直之、宮武一貴がイメージ・スケッチを描いた。1979年に木星に接近したNASAのボイジャー計画による最新の探索データが取り入れられ、また、ハードSFで知られるSF作家の石原藤夫にも声がかかり、映画に登場する天体の軌道計算という考証面で協力した。軌道計算のシミュレーションは、当時出始めの8ビットCPUのパソコン(マイコン)で行なわれ、映画の宣伝も兼ねてパソコン雑誌でも紹介された。
1979年半ばにシナリオの初稿は脱稿。併せてアメリカでの著作権登録も行った。これは、初稿が上映時間3時間を越え、外国人俳優を多数必要とするというスケールの大きさから、小松がアメリカとの合作も視野に入れたためである。後にアメリカの映画会社から原作を買い取りたいという申し出があったが、アメリカ人を主役とし、小松を制作には関与させないという契約条件であったため、小松が断ったという逸話がある。以後、第3稿からは監督を務めることになる東宝の橋本幸治も加わって登場人物とストーリーを刈り込み、6度の改稿の末、撮影用の台本は完成した。クレジットはされていないが、半分に短縮した第4稿以降は橋本が小松らの意見を加えつつ執筆している。
映画化に先駆けて、映画の初稿脚本を原作としたノベライズを1980年から週刊サンケイに連載したが、豊田有恒、田中光二、山田正紀との連名で発表されていた。表向きは、小松が多忙で執筆できない場合に備えたものというものだったが、共同執筆者を立てることで少しでも企業側からの映画製作の資金を得たいというのが本当の理由だった。結局、代筆はされることはなく、単行本化の際には小松単独の名義になった。連載中の1981年、小松は本作制作のために、株式会社イオ(個人事務所)を設立し、本作品を東宝とイオの共同制作とする。小松は脚本執筆のみでなく、総監督として現場の指揮も執ることになり、映画化の全般に責任を負う体制を敷いた。
1983年3月に撮影用台本は完成。小松の『日本沈没』映画化作(1973年)を監督した森谷司郎を再び監督に予定していたが、森谷の死去に伴いその助監督だった橋本幸治を監督に起用したとされている。しかし実際に森谷が亡くなったのは映画公開後の1984年12月2日である。特技監督は、新鋭の川北紘一が務め、4月に特撮、5月に本編がクランクイン、7月末にクランクアップ。編集や合成、音響制作作業を経て、完成したのは1983年10月のことである。
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