伊豆の踊子 (1974)
淡い恋模様の花を咲かす踊子は、豊かな黒髪と澄んだ瞳の少女だった。
大正時代末期。一人旅で伊豆を訪れていた旧制一高3年生の川島は、伊豆大島出身の旅芸人一座と出会い、しばらく彼らと道中をともにする。偏見の目で見られがちな彼らに同情して義憤を覚える一方、川島は次第に一座の若い踊り子、かほるの初々しさに魅了されていき、かほるのほうも彼に淡い恋心を抱くようになる。しかし、一座の年長の女性のぶは、若い2人が叶わぬ恋に深入りするよりはと、あえて2人を別れさせようとするが…。
キャスト
- 山口百恵 — Kahoru
- 三浦友和 — Kawashima
- 中山仁 — Eikichi
- 佐藤友美 — Chiyoko
- 一の宮あつ子 — Nobu
- Masami Yomo — Sayuko
- 宗方奈美 — Yoshiko
- Yumiko Arizaki — Otoki
- 石川さゆり — Okimi
- Koenyū Sanyūtei — Kamiya
- 江戸家猫八 — Toriya
- Riyoko Tanaka — Shino
豆知識
- 原作:伊豆の踊子
『伊豆の踊子』(いずのおどりこ)は川端康成の同名小説を原作とした1974年(昭和49年)12月公開の日本映画。同名小説の6度目の映画化作品で、山口百恵映画主演第1回作品である。公開時の惹句は、「花のような微笑みと豊かな髪 清く澄んだ黒い瞳の少女――それが踊子だった。いつかは“さよなら”を… 哀しい踊子の太鼓が伊豆の山々にこだまする」である。1975年度の興行収入ベストテン第3位を記録した。現在のところ、日本最後の伊豆の踊子の映画である。
製作経緯
山口百恵は最初は歌唱力が充分でないと判断され、映画出演は補強策として考えられたといわれる。当時の山口百恵はヒット曲に恵まれず暗中模索状態であった。西河克己監督は「百恵は人気がなかったんですよ、そんなに。レコードが売れなかったんです。森昌子はレコードは売れていました。ただ、百恵はファンレターが多くて、それで少女雑誌の表紙なんかになる機会が多かったです。この子は変な人気があるから役者に転向させようというのが事の起こりらしいです。僕が呼ばれて相談を受けた時は」と話している。山口百恵の最初の出演映画は、松竹映画『としごろ』であったが、これは「脇役ながら目立つ女の子」という扱いだった。これに続く主演第一作は、ホリプロ= 東宝提携作品となり、 ホリプロ傘下のホリ企画制作で『野良猫ロック』シリーズを手がけていた笹井英男がプロデュースすることになった。笹井は元日活のプロデューサーで、当時はホリ企画の副社長となり、大林宣彦とマンダムのCMなどを作っていた。
西河は鈴木清太郎(鈴木清順)を日活に入れた関係で、1968年の鈴木清順解雇事件で原告側証人として法廷に立ったりしたことから日活を辞めた。以降はテレビ界に移り、劇映画監督は5年ぶりだった。西河は堀に呼ばれ「百恵は歌は売れないが、少女雑誌の表紙になったり、ファンレターがたくさん来るし人気がある。だから役者に転向させようと思う」と相談された。
百恵の相手役は東宝が新聞広告で「大学生を選ぶ」とはっきり告知し、約四千人の応募があり、その中から三十数人を選び、東京に呼んで書類選考が行われた。応募者の中に現役の東大生・新保克芳がおり、配給の東宝も宣伝しやすい「東大生でいこう」と決まり、合格は新保克芳とマスコミにも賑々しく発表され、大きな話題を呼んだ。ところが当時はオリエンタルのCM「ハヤシもあるでョ〜」が流行っていた頃で、名古屋弁の強い新保に西河が反対、「芝居の経験がある者にしたい」と、結局先のグリコのCM映像を見て西河が三浦を強く推し、三浦の起用を決めた。三浦は『剣道一本!』(フジテレビ)という主演ドラマもあるプロの役者だった。当時の三浦は全然売れておらず、スケジュールも真っ白で、体も大きく「一高生のイメージでない」と三浦のマネージャーからも反対された。西河が三浦に会い、話をしているウチに三浦を気に入り起用を決めた。しかし東宝は新人起用に「売れない役者だからダメ。
東宝とホリプロは「文芸作品」を構想し、幾つかの候補の中から東宝サイドは『伊豆の踊子』を希望した。しかしホリプロサイドは、初めての主役の百恵に、一種の時代劇的な役柄は不向きで、それよりも地に近い高校生役の青春もの、学園ものの方が無難ではないか、また歌手であるからにはレコードも同時発売したいが『伊豆の踊子』というタイトルでは百恵の歌の傾向と違い過ぎると最終的な決定をしかねていた。西河と東宝、ホリプロで会議が紛糾したとき、東宝が『伊豆の踊子』はどうだろうかと言い出し、意見を求められた西河は、百恵をほとんど知らず「台詞が喋れるのかどうか怪しいな」と思っていたから、候補にあがった文学作品の中では『伊豆の踊子』が台詞も少なく、芝居が一番難しくないし、安定したネームバリューのあるタイトルに寄りかかった方が成功率が高い、映画の主役ならテレビに出ている山口百恵とは全く異なった、様変わりしたコスチュームで出演した方が得策であると進言し、協議の結果『伊豆の踊子』で行くと決定した。
1973年4月に東宝の配給、興行、宣伝、外部からの企画窓口になる映画調整の各部を統合した東宝営業本部長に就任した松岡功は、「営業本部長になってほどなく、東宝演劇部の社員から電話があった。『バンド時代からの友人にホリプロの堀威夫さんがいるんですが、本部長に会いたいと言っています。訪ねてきた堀さんは『山口百恵で映画を作りたいんです。作品は『伊豆の踊子』。共演は三浦友和です』と切り出した。山口百恵こそアイドルの中で最も映画向きだと秘かに思っていた。『やりましょう』と即答した」などと話している。この松岡の証言が正しいのなら、映画の製作が正式に決まる前に山口百恵の相手役オーディションを行うことは有り得ず、オーディションは出来レースで、企画が持ち込まれた時点で百恵・友和コンビは決まっており、『伊豆の踊子』も最初から決まっていたということになり、上記の多くの話が嘘ということになる。
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