人生劇場 飛車角 (1963)
尾崎士郎の原作を大胆に料理し、その後続く東映任侠路線の礎となった逸品。東宝から東映に移籍した鶴田浩二が、ユニークな時代劇で手腕を発揮してきた沢島忠監督の巧みな演出に応え、愛と義理に揺れるやくざの葛藤を、色気と哀愁を漂わせて好演し、さらなる黄金時代に向かう新たな当たり役とした。一宿一飯の義理を果たすため、殺人を犯した飛車角(鶴田浩二)は、服役中に心変わりした恋人のおとよ(佐久間良子)を責めもせず、渡世人の道を突き進む。
キャスト
豆知識
- 原作:人生劇場
『人生劇場 飛車角』 は、1963年公開の日本映画および、同作含む全3作からなる映画シリーズ。製作・配給:東映、監督:沢島忠、主演:鶴田浩二。本項ではシリーズ作品3作について記述する。
エピソード(第1作)
岡田が翻案の承諾に尾崎の元へ部下を向かわせた際、尾崎は「ヤクザ映画になっては困る」と表題はあくまで『人生劇場』とし、岡田の『飛車角』を頑なに認めなかった。尾崎は岡田の出身地東広島市西条に本社のある賀茂鶴酒造の会長・石井武と早稲田大学時代からの親友で、広島の酒「賀茂鶴」が大好きと知っていた岡田は、賀茂鶴の社長にすぐに電話をかけて酒を取り寄せ、賀茂鶴の吟醸酒を三本持って尾崎宅へ足を運んだ。尾崎は当時、既に癌に侵されており病床に臥せってもう危ないと言われていた時期であったが「いや、岡田さんが来たんだから飲まないわけにいかない」と酒を酌み交わし、岡田の懇願に折れ『人生劇場 飛車角』の表題を認めた。ただしそれには唯一つの条件があり、その内容とは自身をモデルとした青成瓢吉を必ず映画に登場させることであった。岡田は『人生劇場』というタイトルも使わない予定だった。約束の杯を交わすとき、尾崎は「ヤクザが文句を言いに来るかもしれないが、その時は私に言いなさい。私が相手をしてあげるから」と岡田に言った。
岡田の付けるタイトルは、インパクトとユニークさがあった。この作品や『緋牡丹博徒』、『不良番長』、『新幹線大爆破』、『柳生一族の陰謀』なども岡田の考案であるが、意外なところでは『大奥㊙物語』で使用した「○秘(マルヒ)マーク」の考案者も岡田である。
この作品を機に、鶴田と佐久間は数年間、不倫関係にあり、二人が演じた濡れ場は凄艶と言えるほどの哀愁に充ちたものであった。
この時期の二人の実生活でのアツアツぶりは有名であったが、続編『人生劇場 続飛車角』では、後年佐久間と結婚する平幹二朗と共演している。
佐久間はそれまでほとんど良家の子女かOLという典型的なお嬢様女優で、もともと一年ぐらいのつもりで女優になったので、撮影所からの帰りに「もうやめよう、もうやめよう」と思っていた時期。女郎役という初の汚れ役に徹しきれるか不安視された。岡田から「東映に新しい路線を作るのだ。大丈夫、君なら出来る」と励まされ、佐久間は体当たりでこの役に挑んだ。おとよ役で演技の幅を広げた佐久間は、女優を続けていく覚悟ができた。ラストシーンの撮影を見学した岡田は「よし、いける! これなら『五番町夕霧楼』も彼女でやれる」とゴーサインを出し続く田坂具隆監督の文芸大作『五番町夕霧楼』の主演に抜擢し、佐久間はこれを代表作にした。任侠映画に於ける女性のイメージは、本作の佐久間がある程度形作ったとも評される。『人生劇場 飛車角』のおとよ役が佐久間に女優としての転機をもたらした。2011年5月11日の岡田の告別式で佐久間は弔辞を読み、岡田に感謝の気持ちを伝えた。
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