網走番外地

網走番外地 (1965)

網走刑務所に入れられた新入りの受刑者・橘は、自分の組の親分のために傷害事件を起こし、懲役3年の刑を言い渡されたヤクザ。殺人鬼・鬼寅の義兄弟と称して幅を利かせる受刑者・依田や、同じ新入り受刑者である権田と衝突しながらも、真面目に毎日を過ごす。そんな橘が仮釈放を受けられる見込みが立ったころ、妹から母親が難病にかかったとの連絡が届く。一方、刑務所の所内ではベテラン受刑者の間で脱走計画が進行していた。

公開日
1965-04-18
TMDB
7.2 / 10 (9)
上映時間(分)
1時間31分
ジャンル
ドラマ, スリラー, 犯罪
監督
石井輝男
シリーズ
網走番外地

キャスト

豆知識

『網走番外地』(あばしりばんがいち)は、1965年4月18日に劇場公開された日本映画。製作・配給:東映。主演高倉健の人気を決定づけた「網走番外地シリーズ」の第1作。また監督・石井輝男にとっても代表作である。モノクロ、シネマスコープ(2.35:1)、92分。映倫番号:13875。

製作

1962年か1963年ころ、当時東映の専属俳優だった三國連太郎が、実際にあった網走刑務所囚人脱走計画事件を知り、自ら事件をモデルにした『網走監獄の脱走』と第する企画を岡田茂東映東京撮影所長(当時)に提出したのが本作の始まりである。三國は当時、岡田が深作欣二や石井輝男らを使って当てていた“ギャング物”“現代アクション路線”の延長上にある“娯楽アクション映画”であることを強調し、自身はまだ独立プロを興して間がないため、自ら監督はやらず、『天草四郎時貞』(1962年)で組んだ大島渚を推薦した。岡田も賛成し、「大島監督に一発ホームランを打たせてやれるようなものにしたい」と企画は了承された。企画窓口は俊藤浩滋、脚本は大島と石堂淑朗、主演は三國と俊藤がマネージメントしていたアイ・ジョージで進められていたが、東映上層部は『天草四郎時貞』を興行的に惨敗させた大島への不信感が強く、この企画を監督させなかったといわれる。

三國主演の可能性がなくなったことから、企画はそのままの形で使えなくなった。そこで目をつけたのが伊藤一が1956年に出版した実録物の小説『網走番外地』であった。本作は著者が1950年代前半に網走刑務所で1年数か月服役した経験をもとに書いた小説で、1959年に日活で原作をほぼ忠実に映画化した同名の映画『網走番外地』が封切られていたが、東映版は、三國が持ちこんだ企画にあてはまるプロットを自在にふくらませただけで、伊藤一の小説からは題名を拝借しただけであった。本作のクレジットには三國連太郎の名はない。

一方、石井輝男は「企画は今田智憲東京撮影所長(当時)です」と述べている。1965年の年始め、今田が石井に「『網走番外地』って、すごくいい歌があるんだ。網走刑務所の受刑者の間で歌い継がれてるらしいんだけど、これで何かできないだろうか」と、話を持って来た。石井は「実はそのときすでに、私の前作『顔役』でその歌を使っていたんですが、歌の好きな今田所長は別のところで知ったのかもしれません。日活も映画化した原作を読みましたが、これはかなり甘い話で気に入らなかった。新東宝時代から私が温めていた『手錠のまゝの脱獄』をヒントにした話をこの企画にかぶせたら、今田所長もノッてくれたので脚本を書いたんです」と話している。

本作の当初の企画者であった三國連太郎は、自らが興した独立プロで自身が監督した『台風』の配給を東映に拒否され、それでも契約関係にあった東映作品に出演していたが、主力映画が任侠映画路線へと傾斜していく東映には自分の出番はないと思い、本作公開の翌年には東映との契約関係を解消し、完全にフリーとなった。

当初の企画がギャング物の延長であったことから、東映東京撮影所にギャング物というドル箱を打ちたてた石井輝男に白羽の矢が立った。石井は、かねてより温めていたスタンリー・クレイマー監督の米映画『手錠のまゝの脱獄』(1958年)を巧みに換骨奪胎して、原作の題名を生かしながら日本版『手錠のまゝの脱獄』といえる脚本を書いた。石井は最初から高倉健の主役を想定してホンを書いたと話している。

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