北の螢

北の螢 (1984)

斬るか、抱くか。愛・狂乱

明治時代、北海道開拓の先兵として強制労働を強いられた囚人たちと彼らを収容する樺戸集治監の管理者たちとの血で血を洗う葛藤、そこに集まってきた女たちの愛憎を描く。

公開日
1984-09-01
TMDB
5.6 / 10 (7)
上映時間(分)
2時間5分
ジャンル
ドラマ
監督
五社英雄

キャスト

豆知識

『北の螢』(きたのほたる)は、1984年公開の日本映画。仲代達矢主演、五社英雄監督。東映・俳優座映画放送製作、東映配給。

製作

当時の東映社長・岡田茂が、札幌訪問の際に囚人の無縁墓地を見て本作を企画した。阿久悠の著書『歌謡曲の時代 -歌もよう人もよう-』では、岡田から阿久に映画の題名考案の依頼があり、題名だけという異例の要請に阿久は驚いたものの、『瀬戸内少年野球団』の製作で世話になった直後でもあり承諾したというエピソードが綴られている。阿久が五〜六案提出した題名案から「北の螢」が選ばれ、岡田に「どういうイメージか」という問いには「『情婦マノン』の地の果てまで男を追って行くイメージ」と答えたという。岡田が高田宏治に脚本を発注し、五社英雄監督で製作がスタート。映画の封切日まで時間があるため、阿久は作詞も余裕を持ってやれば良いと考えていたところ、五社から「撮影初日からスタジオで曲を流して気分を高めたいから早く歌を作って欲しい」と阿久に手紙が来たという。この段階で『情婦マノン』は京の名妓と北海道の監獄長の話に変更されており、阿久はこのイメージで『北の螢』の作詞を書いた。

一方で実際の「阿久悠日記」には、1983年1月25日に阿久が東映本社を訪れ、岡田から「北の歌」の作詞を依頼されたと書かれている。つまり映画の題名のみという漠然とした依頼ではなく、主題歌の作詞も同時に要請され、「北の螢」の詞が映画の内容にある程度合致している点から、岡田社長から映画のプロットが伝えられていた可能性もある。また、阿久が提出した題名案は五案か六案ではなく、「抱擁 地獄篇」「地獄に堕ちたサムライたち」「アバシリ」「北将軍」「冬の蛍」「冷血」「風化遊女」「恋あり 遺書あり 怨みあり」「北国神話」「浪漫浪乱」「北の抱擁」「北の遊女たち」「天国あり」「無名心中」「北の蛍」と計15案があり、この中から岡田が選んだのが「北の螢」だった。

脚本の高田宏治は北海道に長く滞在し集治監跡などを調べた。岡田社長が五社と高田を呼び「殺伐な単なるアクションにするな。鬼のような男に女が惚れて凄い人間ドラマにするのがポイントだ」と念押しした。

早乙女愛は前年の『女猫』(にっかつ)を評価され抜擢された。「中途半端に演って不評を買いたくない」「引き受けたからには思い切り演った」と話している。

撮影所では撮影を行わず、豪雪地帯を探して福井県江上町の九頭竜川河川敷に1億円かけて樺戸集治監や料亭など、全てのオープンセットが組まれ当地でロケが行われた(北海道での撮影はなし)。1984年4月19日クランクアップ。

Wikipediaで続きを読む · テキストはWikipedia、CC BY-SA 4.0。データはWikidata。

おすすめ