二百三高地

二百三高地 (1980)

あの雄叫びは、乃木作戦か。児玉作戦か。

日露戦争最大の激戦地となった旅順の二百三高地の攻防戦を中心とした、戦争スペクタクル。戦闘の合間に敵味方が互いに健闘をたたえ合う場面や、愚かな指揮に疑問を持つこともなく、犠牲を増やしていく過程など、さだまさしの主題歌とともに悲哀を高めている。19世紀末。アジア地域に、欧米列強の植民地政策の波が押し寄せる中、日本の明治維新政府は朝鮮半島の支配権を目指すが、ロシアの南下政策に真っ向から衝突することとなり・・・。

公開日
1980-08-02
TMDB
7.4 / 10 (14)
上映時間(分)
3時間5分
ジャンル
戦争, ドラマ, 履歴
監督
舛田利雄

キャスト

豆知識

  • 興行収入:¥18億
  • 製作費:¥15億
  • 製作費の1.2倍を稼ぎました
  • 撮影地:日本

『二百三高地』(にひゃくさんこうち)は、1980年(昭和55年)の日本映画と1981年(昭和56年)のテレビドラマ。

エピソード(映画)

主役の乃木将軍役には、早い段階で仲代達矢を想定して企画が進められていたが、仲代が渋り、フジテレビのドラマ『アマゾンの歌』(1979年10月6日放送)で、ブラジルに長期ロケに行くのでと断わられた。やむなく乃木将軍役を天尾、幸田、舛田監督の3人で丹波哲郎に話を持っていったところ、丹波はやる気まんまんで「是非とも」と快諾した。ところが岡田茂に話しに行ったら「なんで丹波が乃木になるんだ! お前ら、何を考えているんだ!」と頭ごなしに怒鳴られ却下される。結局、丹波には侘びを入れた後、「脚本を読むと児玉源太郎が面白いね」と言っていたのを覚えていた舛田が、その場で丹波に児玉役をキャスティングした。肝心の乃木将軍役の仲代の替りを一生懸命探していたが、岡田が「仲代が戻るまで待とう。封切りを伸ばせ」と鶴の一声で仲代に決定した。トラブルはさらに続き、仲代が日本に戻りようやく撮影に入ろうとした矢先に、黒澤明の影武者騒動が起きた。

脚本の笠原が岡田から最終的に脚本の了承をもらった際に、岡田から「一ヶ所直してくれ。あとは全部、お前の考えでいいから」と言われた。その訂正を指示された箇所とは乃木が明治天皇に旅順戦の軍状報告をするラストシーンだった。世間では乃木が泣いたという話になっているが、実際に調べたら、関係将官が全部囲んで厳かに淡々と天皇の前で報告を行うことは一番神聖なセレモニーであり、そんな時に泣いたりしたら笑われるどころではなく、乃木は報告の途中で言葉をつまらせたが、明治天皇も冷たい顔をして聞いていたというのが事実と分かった。笠原はこの通りシナリオに書いていたが、岡田に「世間でよく言われている通り、乃木がヨヨと泣き崩れると、天皇陛下が席をお立ちになって、「乃木よ、泣くな」と乃木の肩の手をお当てになられた、に変更しろ。そういうふうにしないとお前、客は来んぞ」と言われ、指示通り直した。この岡田の指示で大号泣のラストシーンとなった。宮中正殿のセットは東映の現有の力を結集し3000万円かけて製作した。

さだまさし歌唱の主題歌「防人の詩」は、音楽監督・山本直純が主題歌の挿入を提案し、山本の推薦により、さだが起用されたもの。

俳優のエンディングクレジットが「第三軍関係」仲代達矢..「政府関係」森繁久彌..「満洲軍関係」丹波哲郎..「皇室関係」三船敏郎 .. となっているのは、森繁久彌・丹波哲郎・三船敏郎という3人の大物俳優の名前を表示する順番に苦慮して考案された、「グループ別」という前例のない方法である。なおポスターでは丹波が中軸、森繁がトメ前、三船がトメである。

劇中において日本兵が使用する三八式歩兵銃は、アップシーンに備えて30丁ほどの模造銃が製作された。しかし日露戦争当時、日本軍が使用した小銃は三十年式歩兵銃であった。三十年式と三八式は遠目にはほぼ同一だが、機関部では細かな形状が異なり、これは明らかな考証ミスである。映画公開時、毎日新聞の取材に対し東映は「小銃の種類についてはあまり詳しく調べなかった。まあ、当時なかったえい光弾も映画の中で使っている。ドラマだから、今ふうでいいんじゃないですか。」と回答している。

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