栄光への5000キロ

栄光への5000キロ (1969)

石原裕次郎が情熱を注ぎ、莫大な時間と労力を費やして完成させた大作映画。日産チームが灼熱のサファリ・ラリーでグランプリをつかんだ実話をもとに描く大人のドラマ。美しき浅丘ルリ子の演技は必見。

公開日
1969-07-19
TMDB
7.2 / 10 (4)
上映時間(分)
2時間57分
ジャンル
アクション, アドベンチャー
監督
蔵原惟繕

キャスト

豆知識

『栄光への5000キロ』(えいこうへの5000キロ)は、1969年に公開された日本映画、カーアクション映画である。

エピソード

劇中の五代やピエールはラリー、スポーツカー、フォーミュラカーなどジャンルを問わぬレース活動を行なっている。現在は参戦競技の専門化が進んでいるが、当時は2人のようにマルチな運転技能を持ち、世界各地を渡り歩くジプシードライバー達がいた。

作中設定では、3年前の日本グランプリで五代のポルシェ・906(カレラ6)と竹内の日産・R380(サンパーマル)が優勝を争い、竹内が最終周回に30度バンクでクラッシュ、五代は走路妨害で失格した、とされている。現実の1967年日本GPでは、海外挑戦中の生沢徹が乗るカレラ6と日産ワークスの高橋国光が乗るR380が接戦を演じ、両者スピンの末に生沢が優勝した。また、生沢とのバトル中に、酒井正のカレラ6が30度バンクを飛び出してクラッシュしている。

この映画を撮影するため、ナイロビへ長期間滞在した石原裕次郎を取材するために現地に同行した芸能記者が「海外長期渡航なんて夢みたいな時代に、裕ちゃんと長期間一緒にいられた感激を忘れないでおこう」と考え、当時の各社マスコミの同行記者団と石原裕次郎を囲んで親睦会を行うようになった。会の名前は「ナイロビ会」といい、石原裕次郎が死去するまで毎年親睦会を開いていたという。

後に石原プロモーションの若手俳優として所属していた五代高之の芸名は、石原裕次郎が演じた「五代高行」の「行」を「之」に変えた上で石原裕次郎自ら名付けている。

1990年代に入ると、一部でこの続編を制作する話が持ち上がっていた。五代の子供がラリードライバーとして世界ラリー選手権(WRC)に参戦するというストーリーだが、諸般の事情で話は流れてしまったとのことである。

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