野のなななのか

野のなななのか (2014)

名匠・大林宣彦監督が「この空の花 長岡花火物語」に続けて発表した“戦争三部作”の第2作。北海道芦別市で老男性が亡くなり、散り散りだった家族は葬儀で集まるが……。

北海道芦別市。今は古物商をしている、少々気難しい元病院長の鈴木光男は3月11日午後2時46分に92歳で他界する。光男が亡くなる直前から、各地に散り散りになっていた家族、光男の妹・英子や子どもたち・孫たちが芦別に集まって来るが、その中には清水信子という正体不明の女性もいた。やがて、終戦を迎えたはずの1945年8月15日の後も樺太では戦争が続き、そこで光男が旧ソ連軍の侵攻を体験していことが分かり……。

公開日
2014-05-17
TMDB
8.1 / 10 (10)
上映時間(分)
2時間51分
ジャンル
ドラマ
監督
大林宣彦

キャスト

豆知識

『野のなななのか』(ののなななのか)は、2014年の日本のドラマ映画である。監督は大林宣彦、主演は品川徹と常盤貴子が務めている。『この空の花 長岡花火物語』の姉妹編にあたる。タイトルの「なななのか」は四十九日を指す。舞台は北海道芦別市。

製作

本作製作の起点は1993年に北海道の芦別市で始まった「星の降る里芦別映画学校」である。同校は鈴木評詞が15歳の時に大林監督の映画に憧れて、「いつか自分の故郷で監督に映画を撮ってほしい」と考え、その後芦別市役所の観光課に就職し、大林に映画学校の設立と協力を直訴し作ったものであった。しかしこの映画学校は開校当初は上手くいかず。ようやく軌道に乗り出したのは、皮肉なことに1997年に鈴木が36歳の若さで亡くなった後のことだった。彼の遺志を継ごうと、芦別の多くの人々がこの映画学校の運営に参加するようになり、芦別を舞台にした映画『野のなななのか』へとつながった。

製作費のうちおよそ8割が芦別市民の寄付による、いわば市民自主制作映画。原作もこの企画のための書き下ろしである。1993年から20年にわたって開催された「芦別映画学校」の集大成として製作された。これは、芦別市民有志主催の年一回の映画イベントで、大林宣彦が「校長」をつとめていた。市民有志は舵取りの鈴木を失い、どうしようかと悩んだが、鈴木の弔い合戦と意を決し、「自分たちの町が映画のメインロケ地になるなんて、一生に一度あるかないか。合い言葉は『一生に一度の苦労をみんなでしようぜ』」と映画製作に協力した。作品の冒頭で、このイベントの発案者であり、大林を招聘した人物でもある芦別市職員・鈴木評詞(1997年没)への献辞がある。

長谷川孝治原作の『なななのか』は、家で四十九日をしているという話で、広大な芦別の野原を思い浮かべると、家の中のなななのかより、『野の』つけて野原でなななのかをやる方がいいんじゃないかな、と大林恭子が大林宣彦に進言した。

常盤貴子の主演、大林作品初参加は以下の経緯による。常盤は『ふたり』を封切時に観て以降、大林監督の大ファンになり、デビュー間もない頃、「黒澤明監督と大林監督の映画に出たい」と映画雑誌のインタビューで話していた。しかし常盤はその後、テレビドラマで多くの主演を張るトップ女優となり、そのインタビューを見ていた大林サイドも常盤の事務所に出演オファーを出してはいたが実現しなかった。常盤は2009年のNHK大河ドラマ『天地人』で、長岡市出身のお船の方を演じたことから、その年の長岡まつりに招待され、花火に大感激し、2年後、プライベートで長岡花火に訪れた。そこへ『この空の花 長岡花火物語』の撮影クルーが来ていて、常盤の方から大林監督に挨拶して「ファンです」と伝えたところ、大林が「いつか一緒に映画をやろうね」と応え、それが本作で実現した。

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