暴力教室

暴力教室 (1976)

そこでは! 手のつけられない暴力獣群が放し飼いにされていた!

一流大学への受験合格率の高さを誇る私立高校に、一人の新進教師・溝口が転任して来た。だが、彼を待ち受けていたのは、優秀な生徒たちではなく、喜多条をリーダーとする学校の管理体制に激しく牙をむく落ちこぼれの非行少年の一群だった…。

公開日
1976-07-01
TMDB
6.3 / 10 (3)
上映時間(分)
1時間25分
ジャンル
スリラー, 犯罪
監督
岡本明久

キャスト

豆知識

『暴力教室』(ぼうりょくきょうしつ)は、1976年東映東京撮影所で製作、東映で配給された日本映画。岡本明久監督。松田優作が本格的にアクションに挑んだ作品で、松田の原点的作品。また舘ひろしの映画デビュー作品で、若き日の松田優作vs.舘ひろし率いるクールスのスクリーン上の激突がプレミアとなり知名度が高い。

製作

校内暴力が頻発し社会問題化した状況に焦点を合わせ、岡田茂東映社長から「1955年のアメリカ映画『暴力教室』を参考に、高校生バイオレンスを作れ」と指示が出て、岡田好みの"不良性感度"濃厚なアクション仕立ての青春映画が構想された。千葉真一の主演映画として企画され、主演の教師役には千葉も意気込み、非行少年役には千葉の率いるジャパンアクションクラブ(JAC)のメンバーや東映の若手俳優陣がキャスティングされる予定になっていた。企画書には「現代の青春とは何か? 学園とは何か? 新進教師と落ちこぼれの非行少年達が爆発するエネルギーで澱む既成社会に挑戦する青春暴力映画(ニューバイオレンス)を作りたい」と記された。しかし急遽(きゅうきょ)、千葉が東映京都撮影所作品の『脱走遊戯』に主演が決まり、スケジュールの調整が付かなくなった。封切りは1976年7月に決まっていて、主役未確定のまま、撮影準備に入った。監督には岡本明久が決まった。

1975年夏の『トラック野郎・御意見無用』、1976年の正月映画『トラック野郎・爆走一番星』が連続して大当たりを取ったことから、関西の東映映画館主の「寅さんのような、明るく楽しい映画が欲しい」という要望に応え、岡田東映社長は1976年の初めに「『トラック野郎』の記録的ヒットは、従来の東映イコールやくざとポルノというイメージを破った。ここ十数年、東映の作品に見向きもしなかった家族づれや若い女性客が戻って来た。不況時には明るくカラッとした笑いあり涙ありの娯楽映画がヒットする」と説明し、女性・子供・家族連れの映画館への吸収を狙い、"健全喜劇路線"を敷くと発表した。この後、全興連会長の山田敏郎に無理やりラグビー映画を作らされることになったため、「アメリカ映画で流行ったものは、必ず何ヶ月後に日本で流行る」という持論の岡田が、『ロンゲスト・ヤード』や『バッド・ニュース・ベアーズ』など、アメリカでのスポーツ映画ブームを見越し "健全喜劇・スポーツ映画路線"に変更した。

脚本は神波史男に発注があり、神波が奥山貞行(奥山耕平)を誘い、一緒に第一稿まで書いた。このシナリオに対して会社と岡本監督からの要求が錯綜しまくり、神波と奥山は脚本を投げ出し、岡本と助監督の福湯通夫と二人で脚本を完成させた。

千葉の降板で主役不在のまま撮影準備がスタート。監督の岡本明久はホットな社会現象として日常化していた校内暴力をグサッと輪斬りにしたいと考え、既成の俳優にないギラギラしたナマな迫力を出せる配役を望んだ。主演の教師役には岡本は松田優作を推したが、松田は前年起こした暴力事件が尾を引き、映画やテレビから追放の身にあり、会社もプロデューサーも反対した。スキャンダルが興行にマイナスに影響する恐れもあった。しかし岡本は松田にこだわり、松田で教師役のイメージが出来上がった後は、この役は断じて松田優作しかないという確信が心を占めた。シナリオの第一稿に若干の改訂を加えた原稿を松田に手渡し、1976年春、東映東京撮影所(以下、東映東京)で松田に会った。松田はその場で、イエスともノーとも返事せず、沈黙。岡本はボクサーのパンチを食らったような挑戦的なコミュニケーションの火花を感じた。

クールスのサブリーダー・岩城滉一がクールスの他のメンバーより一年も前に東映にスカウトされ、既に東映で主演スターとして売り出されており、クールスのリーダー・舘ひろしも岡田社長に「君の主演作を作ろう」と声を掛けられ、当時東映に籍を置いていたため、舘のオオカミのような風貌が買われ、松田との共演が決まった。また現役暴走族のクールスメンバーは不良生徒役にうってつけで、岡本がクールスのメンバーに会い、舘は硬派を気取っていても、どこか育ちの良さを隠しきれない心優しい青年で、他のクールスメンバーも皆気のいいガイで、合わせてクールスメンバーの起用も決まった。岩城滉一は併映作の『暴走の季節』が主演三作目で、本作の出演は最初から考えられていない。『暴走の季節』での岩城は暴走族ではなく、監督の石井輝男が暴走族設定に飽きたため、ヨットの操縦士である。

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