なごり雪

なごり雪 (2002)

生き惑う季節にいるあなたに、二十八年前のあの唄は、今、何を語り掛けるのか。

間もなく50歳を迎える梶村祐作は、28年間連れ添った妻に逃げられ、自殺願望を持つようになっていた。そんな祐作のもとへ1本の電話が掛かってきた。かつての友、水田健一郎からだった。水田の妻・雪子が危篤状態だという。祐作は水田の帰郷の願いを聞き入れ、古里の臼杵へ戻った。祐作は雪子の瀕死の姿を見て、28年前の思い出が蘇ってきた。3人で過ごした青春の日々…。雪子は祐作に恋していた。それに気付いていながらも応えられなかった祐作。雪子に恋をしていた水田。そして今、一つの結末を迎えようとしていた…。

公開日
2002-04-27
TMDB
10.0 / 10 (1)
上映時間(分)
1時間51分
ジャンル
ロマンス, ドラマ
監督
大林宣彦

キャスト

豆知識

『なごり雪』(なごりゆき)は、2002年9月28日に公開された大林宣彦監督による日本映画。津久見市出身の伊勢正三作詞・作曲の楽曲「なごり雪」をモチーフとする。映画の原案も伊勢正三による。

製作

1950年以降、毎年春に日本各地で開催される全国植樹祭は、式典に天皇・皇后も出席する、各地域にとっては威信のかかった重要行事であるが、2000年4月23日に開催予定の大分植樹祭は平松守彦大分県知事の意向で、例年の電通などの大手広告代理店を入れて実施するのではなく、地元の人々の力でやろうと考えた。そこで指名された地元の実行委員の若者が、どうしたらいいか分からず大林に相談してきた。当初は行政の仕事でもあるし気乗りがしなかったが、大分側の熱意に打たれた大林はその後2年間、植樹祭の準備のため、頻繁に大分を訪れ、「会場を整地せず、何もするな」などとアドバイスした。すると実行委員から「分かりました。私たちにはない発想でした。そうします」と即断したため、大林は驚き、普通は一度持ち帰って上と相談するはずだが、実行委員は「私のOKは平松さんのOKです」と言った。それがあって大林は大分というところは少し他と違うという感想を持った。

大分で映画を撮るというアイデアだけは生まれたが、「どんな映画を」ということは何もなかった。大分では大林は余所者のため、いきなり映画を作る資格はないため、この町をふるさととする人は、と考えたとき、大林の頭に浮かんだのが、大分出身のシンガーソングライター・伊勢正三だった。そこで大林は、伊勢正三の二つの名曲、「なごり雪」と「22才の別れ」をモチーフに、自ら脚本を書き上げ、それぞれ2本の"大分映画"を撮った。伊勢も大林から映画化の話を聞かされ、光栄に思ったという。当時で約30年前の「なごり雪」と「22才の別れ」が、何故今なお生きているのかを検証しようというのも、映画を作る意欲になったという。後藤市長から大林に連絡があり「町の人たちと話をしました。この町は変わらないことで町を守ってきましたが、町の人たちも落ちこぼれで何もない町だと、自信を失っています。だから町の人たちに自信を取り戻してほしいので、監督に映画を作っていただこうと思います。その代わりお約束します。

主人公・青年時代の祐作を演じる細山田隆人は2001年の7月にオーデションで選ばれた。

山崎輝道(TOSエンタープライズ)プロデューサーは「今回は大映さん、大林恭子Pにお手伝いいただきゴールできたというのが実際の所じゃないかと思います。製作期間は10ヶ月くらい。2000名くらいの地元スタッフが携わっています」などと述べている。撮影は2001年9月に臼杵で1カ月行われた。「なごり雪」の歌詞をそのままセリフにするなど、大林らしい実験的要素もある。

1988年の『フライング 飛翔』以降、映画界を離れ、長く臼杵に居住していた曽根中生監督が、病院へ胃の定期健診に通っていたら、ちょうど大林がその病院で本作の撮影をしていて、挨拶はしたが、曽根は大林は同じ映画人でも、全く別の方向を目指している対極にいる人というイメージを持っていたため、大林が現役でなお精力的に映画を撮り続けていることに対して、あまり悔しくはなかったという。

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