姿三四郎

姿三四郎 (1943)

明治十五年修道館の茶道家・矢野正五郎に心酔した姿三四郎は門下生となり頭角を現すが、慢心による思い上がりから大乱闘を起こす。この事件で師から罰を受けた三四郎は謙虚な男に生まれ変わり、武道とは暴力ではない事を悟る。そんな三四郎に修道館と対立する他流派の猛者達から、次々と挑戦状が舞い込む・・・・・・。記念すべき黒澤監督のデビュー作。全部で七箇所ある格闘シーンは、それぞれ趣向が凝っていて見応え充分。特にラストの右京ヶ原での対決は、コマ落としやモンタージュを駆使し世間を驚かせた。また当時の国策的作品に反逆し自らの信念に忠実に作られた本作品は、その後何度か映画化されるなど、後世に影響を与えた。

公開日
1943-03-25
TMDB
6.5 / 10 (150)
上映時間(分)
1時間37分
ジャンル
ドラマ
監督
黒澤明
シリーズ
Sanshiro Sugata Collection

キャスト

豆知識

『姿三四郎』(すがたさんしろう)は、1943年3月25日に公開された日本映画である。モノクロ、スタンダード、97分。黒澤明の監督処女作で、富田常雄の同名小説の初映画化作品である。ワイプを使用した場面転換や、主人公が人間的に成長する筋立てなど、黒澤映画の特徴的なスタイルがすでに確立されている。情報局国民映画参加作品として公開されたが、戦時下の大衆に受け入れられて大ヒットした。日本の武道映画のジャンルを形成し、リメイクだけでなく多くの類似作品が生まれ、海外でも本作の影響を受けたジョニー・トー監督の『柔道龍虎房』(2004年)が作られた。1945年に続編の『續姿三四郎』が公開された。

製作

1942年、東宝の助監督である黒澤明は、自ら脚本を執筆した『達磨寺のドイツ人』『森の千一夜』『サンパギタの花』などを監督処女作として企画するが、戦時下でフィルム供給が制限されたことに加え、内務省の検閲などで実現できず、なかなか監督になれずにいた。同年9月、黒澤は新聞で富田常雄の小説『姿三四郎』の新刊書広告を見かけ、その広告文だけで映画化できると確信し、東宝の企画部長の森田信義に映画化交渉をするように説得した。森田はまだ出版されていない本の映画化権購入を渋ったため、待ちきれない黒澤は渋谷の本屋へ通って本が刊行されるのを見張り、発売されるとすぐに買い求めて一気に読み終え、再度森田を説得して映画化交渉を行わせた。東宝が映画化交渉をした翌日には、大映と松竹も映画化権獲得のため富田家を訪れていたが、富田の妻が映画雑誌で黒澤のことを知っており、有望な新人だと夫を説得したことで、東宝が映画化権を獲得することができた。

同年12月13日、横浜の浅間神社境内でクランクインした。この時撮影したのは、村井半助の娘小夜が父が試合で勝つよう祈願しているところを、矢野正五郎と姿三四郎が見つめるシーンである。その2日後に愛知県半田市でロケを行い、矢野が敵を川に投げ込むシーンが撮影された。川の水温は零度近くあり、敵役の俳優は川に投げられるそばから、体を温めるためホテルへ連れて行かれた。この時に矢野役の大河内傅次郎は、投げ飛ばすときに勢い余って相手もろとも川に転落したことがあった。

1943年2月15日、箱根の仙石原でクライマックスの三四郎と檜垣源之助が右京ヶ原で決闘するシーンが撮影された。このシーンは一面のススキが強風でなびくという設定で、当初はセットでススキの原を作り、大扇風機で風を起こす予定だったが、黒澤はセットの完成度に不満を覚えたため、会社に交渉して3日以内という条件でロケが認められた。そこで強風が吹くことで有名な仙石原で撮影するが、風ひとつ吹かない日が続き、ついに3日目を迎えたときに運良く強風が吹きつけ、思い通りの撮影をすることができた。黒澤は「まさに仙石原の神風」と述べている。

ラストの軽便蒸気機関車のシーンは、中遠鉄道(後の静岡鉄道駿遠線)で撮影された。このシーンでは客車内に黒澤以下スタッフが乗客に扮して出演したが、試写を見た森岩雄重役に「ふざけ過ぎる!」とたしなめられてカットされた。

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