日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声

日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声 (1950)

This film is strongly anti-war film. The film is based on the collection of writings by Japanese student soldiers who died during World War II. The film is located to Burma. It shows the everyday problems of soldiers in contrast of their ideas and the cynicism of their commanders. Soldiers are also victims of military bullying by their commanders.

公開日
1950-06-15
TMDB
7.7 / 10 (3)
上映時間(分)
1時間49分
ジャンル
ドラマ, 戦争
監督
関川秀雄

キャスト

豆知識

  • 原作:きけ わだつみのこえ

『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』 は、東横映画が1950年(昭和25年)に製作し、東京映画配給が配給した日本映画である。

製作

クレジットは「製作担当」であるが、後の東映社長・岡田茂が、入社2年目24歳の時に手掛けた実質的な初プロデュース作品。冒頭から泥沼で行き倒れになっている兵たちの姿を映し出し、バックに「君が代」を流す。戦後初の戦争映画で、戦場の最前線で死にゆく兵たちの姿を映像として映し出した初めての日本映画といわれ、日本初の「反戦映画」ともいわれる。本作の大ヒット以降、「反戦映画」が続々と製作された。岡田は、戦死した学友たちの話を後世に残さなければ、学友たちが浮かばれないと、1947年に東京大学協同組合出版部の編集によって出版された東京大学戦没学徒兵の手記集『はるかなる山河に』刊行後から映画化を決意。遺稿集の編集にあたった東京大学新聞編集部の部室に単身乗り込み、「先輩に任せろ」と10万円で映画化権を買い取った。

シナリオは、最初は八木保太郎に頼んだが、八木は軍隊を知らないため、舟橋聖一の弟で、戦争経験のある当時は駆け出しのライターだった舟橋和郎にまわり、シナリオは完成した。舟橋も自信作といえる出来で、京都で心配する岡田には「ヨイホンデキタ、アンシンセヨ」と電報を打った。しかし東京大学全日本学生自治会総連合の急先鋒でわだつみ会の会長だった氏家齊一郎や、副会長だった渡邉恒雄など、編集に関わった幹部が、「天皇制批判がない」とクレームを付けてきた。岡田が企画して以降、戦没学生の手記についての世の中の注目がはるかに大きくなってしまい、全学連幹部は左翼教条主義的にシナリオの細部を攻撃した。岡田は、東大の後輩・氏家ら左翼学生の説得には、彼ら反対派の中から二人を撮影現場に就けるという妥協案でようやく納得させた。彼らが望むテーマ通りに撮っているかをチェックする監視役という訳で、その1人が富本壮吉であった。富本はこれが縁で映画界入り、後に『家政婦は見た!』などのテレビドラマ演出で主に活躍した。

全学連との話し合いは妥協に妥協を重ねて乗り切ったが、次は東横映画内部から批判が上がった。当時の東横映画は千恵蔵、右太衛門の時代劇全盛で、黒川渉三社長からは「戦争の悲惨さを思い起こさせるような映画が当たるわけない」と批判され、会社の看板スターで役員でもあった片岡千恵蔵、月形龍之介とも「会社が潰れかかっているのに、この企画では客は来ない」「お前はアカか」などと猛反対を受けた。当時は大物役者がノーと言えば映画は作れない時代であったが、絶対にこの映画は当たると大見得えを切り、マキノ光雄の助け舟もあって1950年、映画を完成させた。

手記集の続編として1949年に出版された日本戦歿学生手記編集委員会編『きけ わだつみのこえ 日本戦歿学生の手記』(東京大学協同組合出版部)のタイトルに因んで、岡田が映画の題名を『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』に変更した。

岡田茂がスタッフには、脚本に八木保太郎、舟橋和郎ら、監督に関川秀雄、音楽・伊福部昭と、レッドパージで他の映画会社を追われた人たちを起用。またキャスティングは、俳優座の佐藤正之に「スターはいらないんだ。芝居がうまい役者使っていい映画を作って、会社の幹部を見返してやりたいんだ」と訴え、感銘を受けた佐藤が新劇の若手俳優を説得にまわり、低予算で製作に至った。当時は無名だった沼田曜一・信欣三・佐野浅夫・大森義夫ら俳優座、民芸、文学座の俳優を起用。やはり感銘を受けた杉村春子も出演した。スターシステム一辺倒の当時はスターが出演しない映画は皆無に等しく、異色のキャスティングだった。こうした新劇の役者も当時パージにあって金銭に困っていて、山城新伍に岡田は「いま、金に困ってるから、20~30万出しゃアイツらホイホイ来よるぞ」と言っていたという。

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