人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊 (1968)
Story of loyal sailors giving their lives for their country as human torpedoes towards the end of the War.
キャスト
豆知識
『人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊』 は、1968年(昭和43年)1月3日公開の日本映画。主演は鶴田浩二、監督は小沢茂弘。東映京都撮影所製作、東映配給。モノクロ、東映スコープ。
製作
監督の小沢茂弘はかつての学徒兵だけに「私は戦場で友人たちの死を目の当たりに見た。彼らの純粋な至情をホットな目で見、クールに描きたい。従ってこのドラマの中には反戦思想の人物は登場しない」などと息巻いた。
原作は1966年に出版されて大きな反響を呼んだ『人間魚雷回天特別攻撃隊員の手記』で、棚田吾郎が脚色した。
主演は戦争ドラマに異常な執念を燃やす鶴田浩二。「お国のために潔く死んでいった青年たちの純真な気持ちを考えると撮影中も涙がこぼれて仕方がありませんでした」「私も太平洋戦争末期には、空と海の違いこそあれ、その極限に於いて死を覚悟していた一人です。映画を是非、靖国神社で奉納試写したい」などと話した。鶴田他、当時の東映オールスターが総出演した。高倉健もキャスティングされていたが、ギャラアップの要求が東映に通らず、1964年から1967年秋まで東映とは無契約のままで、鶴田浩二の契約条件年間6本の出演で2,000万円(+6本以上はギャラ+アルファ)を越える1本500万円を要求。このギャラ闘争がこじれたまま棚上げされており、1967年秋になって東映が折れ、1本450万円で契約が成立したとされるが、ヤクザ映画ばかりやらされることへ不満を表明していたのにまたヤクザ映画を企画されたことに腹を立て、鶴田や松方弘樹のお付き合いのようなオファーに本作出演を土壇場でキャンセルした。
製作当時の文献には回天は現物が全く残っていないと書かれており、東映京都撮影所で20人による東映美術班が編成され一ヶ月で全長15メートル、直径1メートルの木製と鉄製の回天8つの模型を300万円かけて製作。一つを広島県江田島に搬送し撮影に使用した。ミニチュアは使用していない。撮影終了後に鉄製の回天を靖国神社を始め、引き取りたいという希望が殺到し、江田島の海上自衛隊第1術科学校に寄贈されたとされる。
撮影は東映京都撮影所の他、戦時中の魚雷基地だった山口県大津島をはじめ、広島県江田島(1967年11月3日から)、呉市、京都府京都市、舞鶴市でロケを敢行。潜水艦にカメラを持ち込んでの水中撮影の他、滋賀県琵琶湖に重量4トンの魚雷を沈めての撮影が行われた。江田島、呉ロケでは海上自衛隊の協力で本物の潜水艦四隻が撮影に協力した。江田島ロケ中、鶴田が海に落ち、寒い時期であわやの場面があった。
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