わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語 (1996)

“Night Train to the Stars” is a biography of the fascinating life of Kenji Miyazawa, one of Japan's most beloved fantasy novelists. Miyazawa is an idealist pledging with his friend Kanai to work for the improved life of farmers. Troubled by his family’s interest in money making and social status, he leaves home after graduating high school to join a Buddhist sect in Tokyo. After falling out with a friend, and receiving news about his sister re-emerging pneumonia, he decides to return home where starts his own experimental school, teaching new farming methods to young local farmers while also instructing them in music and arts. It was only after his death, through the help of his brother Seiroku, that his writings became widely read.

公開日
1996-10-19
TMDB
6.2 / 10 (4)
上映時間(分)
1時間51分
ジャンル
ドラマ
監督
大森一樹

キャスト

豆知識

『わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語』 は、1996年(平成8年)10月19日に公開された日本映画。緒形直人主演、大森一樹監督。「わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語」製作委員会製作、東映配給。上映時間は111分。

製作

記者会見で監督の大森一樹が「賢治という人は『ゴジラ』と同じくらいマニアックなファンが多く、資料も多いが、私なりの賢治像を描く」と抱負を述べた。

大森は前年に兵庫県芦屋市のマンションで阪神・淡路大震災に被災。再建のために自治会活動などに積極的に関わっていた。その過程で日本人の良さは、独特の優しさや気遣いで、逆に欠点は何でもなあなあにするところや、大人の討論が出来ない、これだけ想像力に欠ける人ばかりの国はない、などと感じた。演出意図について「聖人、宮沢の一代記では面白くない。現代に通じる青春映画にしようと思った。ある意味では僕たちの70年代の青春を描いた。学生時代、僕たちもささやかだけど世界を幸福に考えていた。そして賢治にとっての藤原嘉藤治や保阪嘉内のような、自分を変えてくれる大切な友人を持っていた。90年代の今、バブル崩壊以降の精神が荒涼とした中で、多くの日本人は誰かの力を借りて立ち上がろうとしている。今の賢治ブームもそんなムードが関係していると思う。この映画で、やっぱり自分の力で立ち直らないといけないんだと分かってほしい。阪神大震災を通じて日本人の良い面、悪い面がはっきり見えた。

主演の緒形直人は、本作で初めて現場で役者がアイデアを出すという経験をしたという。緒形は元々スタッフ志望で『優駿 ORACIÓN』(1988年)以降も俳優を続けることに迷いがあったが、俳優という職業への意識が本作の参加で180度変わったと話している。

渡哲也の本格的映画出演は1976年の『やくざの墓場 くちなしの花』以来20年ぶり。東映社長・岡田茂は、1972年に渡を東映に移籍させようと画策したが渡に断られた。しかしその後も付き合いは続き、岡田に映画復帰を促され、ようやく承諾し出演した。渡の所属する石原プロモーションもこの間、映画製作に意欲を見せてはいたが実現には至らなかった。映画界に本格復帰した本作でこの年の各映画賞助演男優賞を独占した。大森は「僕にとって渡さんは、ロバート・デ・ニーロをキャスティングできたようなものです」と述べた。また撮影に木村大作を迎え、東映京都撮影所でメガホンを執れたのも嬉しい初体験で、「自分の世代の監督でこんなことが出来たのは僕だけ、という自負はある」と話した。

宮沢賢治を題材とした場合、ある程度事実を踏まえてシナリオを書かなければならないという制約があり、賢治の私生活は映画的に面白い題材には乏しく、当初から懸念された。このため映像の出来不出来がかなりのウェイトを占めてくると判断され、撮影には木村大作が起用された。若い監督は木村にビビり、オファーもなかったが、一回り以上若い大森監督から「木村さんでやりたい、というオファーを受け感激した」と話している。木村は「アニメーションなんか使わなくてもオレがいくらでもいい画をとって撮ってやるから」とアニメーションとの合成を嫌がったが、監督とプロデューサーから「ファンタジーの部分を前面に押し出したい」という希望にやむなく承諾した。

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