私を抱いてそしてキスして

私を抱いてそしてキスして (1992)

はじめてです。こんなに人を愛せたのは。結婚、してくれますか。

昔の恋人がエイズの陽性だったことから、自分のエイズ感染を知った圭子。自殺未遂の果てにようやく恋人に感染の事実を打ち明けるも、彼はその事実を受け止めることができず、圭子のもとを去ってしまう。そんななか、圭子が妊娠していることがわかり…。

公開日
1992-11-14
TMDB
8.0 / 10 (1)
上映時間(分)
1時間46分
ジャンル
ドラマ
監督
佐藤純彌

キャスト

豆知識

『私を抱いてそしてキスして』(わたしをだいてそしてキスして)は、1992年東映製作配給の日本映画。主演・南野陽子、監督・佐藤純彌。

製作

企画は南野陽子。南野が当時の東映社長・岡田茂から「今、何に興味がある?」と聞かれ、本作を挙げたことが映画化のきっかけ。大手映画会社の番線映画にアイドルの企画が採用されるのはレアケースと見られる。東映はこの年5月に公開された『寒椿』に続いて南野を売り出そうとしていた。しかし『寒椿』と8月公開の『継承盃』が、作品の出来はよいと評価されたものの、『寒椿』配収2億5000万円、『継承盃』2億円と成績が振るわず。岡田東映社長が「社会のあり様が変わった。ファジイな時代でどの方向へ行ったらいいか判らんというのが正直な製作界の現状。前売り券のない大人向けの中級作品にどうやったらお客を呼べるか、社会全般に大きく話題を投げ掛けてゆく素材を選ばないとダメ」と判断し、『JFK』や『氷の微笑』『ミンボーの女』などに影響されて、「こういうプロデューサーや配給会社にハネっ返りがくるような映画でないとダメだろう」と社会路線として手始めとしてエイズを取り上げることを決めた。

岡田がセントラル・アーツの黒澤満プロデューサーに「誰がモデルか判らないように、いろんなケースをミックスして脚本を書いてくれ」と指示。最初は高橋洋ら、3人の脚本家にシナリオを書かせたが一貫性がなく時間も長くなったため、黒澤が佐藤純彌に相談した。脚本を佐藤が2時間弱にシナリオをまとめて家田荘子に見せると「OK」が出たため、佐藤が監督をすることになった。黒澤としては若手シナリオライターとベテラン佐藤を組み合わせて若手に経験値を積ませようという狙いがあった。

1992年10月26日に東映東京撮影所で南野のアフレコが行われ、同年10月24日に南野参加の栃木県岩舟町でロケが行われたため、1992年秋に撮影が行われたものと見られる。

南野は身長162cmで、普段は45kgだったが、企画・立案者としての責任感から自ら8キロの減量に挑み、赤井英和とのハードなベッドシーンを含む鬼気迫る熱演を見せた。医者から責任は持てないと言われたため、自己流で50日間、単純に食べない方法で減量に挑み、水分は取るが、たまにコンニャクを食べる程度。栄養失調になり、つねっても痛くない状況までいったという。

1992年10月27日に南野が厚生省に山下徳夫厚生大臣を表敬訪問。南野はエイズ予防財団のポスターにも登場し、この日正式に本作が厚生省の推薦映画になった。

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