わが青春に悔なし (1946)
黒澤明監督の戦後最初の監督作品。京大・滝川事件とゾルゲ・スパイ事件をモチーフに、ファシズムの吹き荒れる時代にあって自らの信念に基づいて強く生きる女性の姿を謳い上げたドラマ。国民的アイドル原節子が芯の強いヒロインを好演。昭和8年。京都帝国大学の教授・八木原の教え子たちにとって教授の一人娘、幸枝は憧れの的。野毛、糸川の二人の学生も幸枝に想いを寄せていた。秀才型で日和見的な糸川に対して実直で行動派の野毛。軍国主義が強まる中、野毛が左翼運動へと身を投じる一方、糸川はひたすらに法曹の道を目指していた。やがて、幸枝は信念を持って行動する野毛に魅力を感じ始めるのだったが……。
キャスト
- 原節子 — Yukie Yagihara
- 藤田進 — Ruykichi Noge
- 大河内傳次郎 — Professor Yagihara
- 杉村春子 — Madame Noge
- 三好栄子 — Madame Yagihara
- 河野秋武 — Itokawa
- 高堂国典 — Mr. Noge
- 志村喬 — Police Commissioner 'Poison Strawberry' Dokuichigo
- 深見泰三 — Minister of Education
- 清水将夫 — Professor Hakozaki
- 田中春男 — Student
- 光一 — Detective
豆知識
- 撮影地:日本
『わが青春に悔なし』(わがせいしゅんにくいなし)は、1946年に公開された日本のドラマ映画である。監督は黒澤明、主演は原節子。モノクロ、スタンダードサイズ、110分。GHQ占領下に民間情報教育局が民主主義啓蒙を目的に推奨した映画の一つである。京大事件の滝川幸辰とゾルゲ事件の尾崎秀実を題材とし、ファシズムの時代に弾圧された教授と学生たちの師弟関係と、そんな時代に自我に目覚める女性の姿を描く。
製作
1945年9月22日、民間情報教育局(CIE)課長のデヴィッド・コンデは各映画会社の重役たちをCIE本部に呼びつけ、民主主義啓蒙映画を早急に作るように厳命した。1946年2月、松竹は軍国主義の弾劾をテーマにした『大曾根家の朝』を制作・公開した。木下惠介が監督し、久板栄二郎が脚本を書いた。東宝ではプロデューサーの松崎啓次は本作の企画を発案し、久板に話をもちかけた。松崎が集めた素材をもとに、久板は黒澤明の協力を得て約20日間かけて脚本の第1稿を執筆した。
1946年4月6日、東宝撮影所では第1次東宝争議が終結した。それにより東宝従業員組合は企画審議会を設置し、映画製作に強い権限を持つようになった。本作の第1稿も企画審議会に提出されたが、楠田清監督の『命ある限り』と題材が類似しているとして変更を余儀なくされた。黒澤は2つの脚本からはまったく異なる作品が生まれると審議会で述べたが、受け入れられることはなかった。『命ある限り』は組合幹部の山形雄策が脚本を書いていたため、この審議会の結論は初めから決定していた。そのため黒澤は最後の20分間を書き直すことになり、「無理に話を替えたから、少し歪んだものになった」と述べている。このような経緯もあり、黒澤は本作について「題名とは逆に、大いに悔あり」と述べている。
撮影は同年4月から10月15日の第2次東宝争議開始までのあいだに行われたとされる。同年7月発売の映画雑誌には映画完成を告げる広告が掲載された。
冒頭の吉田山のシーンは衣笠山や宝ヶ池で撮影した。大学内部は東京大学で撮影し、八木原教授の記念講義のシーンは東大法学部25番教室を使用した。東大での撮影は、監督補佐の堀川弘通が東大出身だった縁をたどって、法学部長の我妻栄に許可を貰って実現させた。この撮影の学生エキストラの中には東大生の荻昌弘もいた。また、学生が警官隊と揉みあうシーンは京都大学の正門前で撮影した。本作ではパンフォーカス撮影を試みようとしたが、大量の照明が必要になるため、敗戦直後の電力不足で諦めた。
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