日本の黒幕

日本の黒幕 (1979)

Political fixer Homei Yamaoka's misdeeds come to light, throwing Japanese politics into deadly confusion. But he's not going down without a fight.

公開日
1979-10-27
TMDB
6.0 / 10 (2)
上映時間(分)
2時間10分
ジャンル
犯罪
監督
降旗康男

キャスト

豆知識

『日本の黒幕』(にほんのフィクサー)は、1979年公開の日本映画。東映京都撮影所製作、東映配給。佐分利信主演、降旗康男監督。タイトルは『日本の黒幕(フィクサー)』と表記されることもある。

製作

「日本の首領シリーズ」をヒットさせた日下部五朗が、大島渚にヤクザ映画を撮ってもらいたいと、いくぶん政治的なものがいいだろうと「日本の首領シリーズ」で取り上げた児玉誉士夫をモデルにした映画を企画し、「大島渚、『日本の黒幕』、お客が来ますよ」などと大島を口説いた。大島は『仁義なき戦いシリーズ』の緻密な分析を行うなど、ヤクザ映画に対するシンパシーを表明していた。当時の大島は1976年の『愛のコリーダ』、1978年『愛の亡霊』で国際的な知名度を高めていた時期だった。

当時の東映は組合運動も激しく、外部作品をプログラムにズラリと並べて、遂には大島渚の招聘か、と『噂の眞相』が『朝令暮改からアナーキーへ 混沌の中で大東映よ何処へ行く』と揶揄した。岡田茂東映社長は「監督を養成する悠長な時代は過ぎた。優れた才能は外部からでもドンドン起用する。『動乱』で東宝出身の森谷司郎さんを招聘したのもその表れの一つだ。大島さんの招聘も、いわば新しい血の導入という方針からで、これをいい刺激剤にして欲しい」などと話した。1978年初めの『柳生一族の陰謀』の大ヒット以降、東映は黒字の劇映画がほとんどなく、「東映は"まんが"で赤字を埋めている」と陰口を叩かれていて、岡田は「情けない。(劇映画)を当てなきゃならん」とハッパをかけていた。当時の日本映画界で観客動員力のある監督といえば、黒澤明と山田洋次、"世界のオオシマ"の3人ぐらいだった。

1979年6月13日、正式に製作が決定し、東映本社で製作会見が行われた。席上、日下部プロデューサーが「現代日本の政財界の腐蝕の構造にメスを入れる権力告発ドラマだ。誰が見ても想像できる人物をモデルとして登場させたい。何人かのドン(首領)やフィクサー(黒幕)をはじめ、ヤクザ、テロリスト、総会屋、警察、政治家、実業家など様々な人物を登場させる。総理大臣はフィクサーたちによって作られると私は解釈していますから、その誕生ドラマの裏面を重厚に描きたい。『日本映画として初めてこんな映画ができたぞ』と言える作品を作りたい」などと話した。大島は「以前から俊藤浩滋プロデューサーから『やらないか』と声をかけられていましたので、その恩返しもあって腰を上げました。ナマの日本の現実に取り組んでみたい」「"暴力"を主テーマに東映やくざ映画の構造とにおいを持った作品にする」「"ヤバイ"素材への冒険だ」「本当に題名通りのフィクサーを描くのなら、児玉誉士夫とロッキード事件まで視野におさめなければ、やる意味はないと思います。

編成上、1979年の10月末の公開が先に決まっていて取り掛かりが遅く、大作の割りに時間がなかった。児玉誉士夫は、自身もモデルとして登場する1974年の『あゝ決戦航空隊』(山下耕作監督)で東映の試写会に訪れ、観劇後に倒れたことがあり、東映の幹部とは面識があった。

製作発表の後、大島は京都での常宿・石塀小路のI旅館で脚本執筆を始めた。1979年7月に『噂の眞相』の記者が京都に出向き、大島に取材した話は後述する話と整合しない点があるが、大島がその時話した内容は以下のもの。

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