ギャング対Gメン

ギャング対Gメン (1962)

Two rival gangs of gangsters clash for dominance of a neighborhood.

公開日
1962-11-02
TMDB
7.5 / 10 (2)
上映時間(分)
1時間22分
ジャンル
犯罪
監督
深作欣二
シリーズ
Gyangu Collection

キャスト

豆知識

『ギャング対Gメン』(ギャングたいジーメン)は、1962年公開の日本映画。鶴田浩二主演、深作欣二監督。東映東京撮影所製作、東映配給。

製作経緯

企画は当時の東映東京撮影所(東撮)所長・岡田茂(のち、東映社長)。東撮製作のプログラムピクチャーに「ギャング路線」を導入しつつあった岡田が、オールスターキャストによる和製ギャング映画を製作すべく、脚本家の村尾昭に、当時日本でも放映されていたアメリカ合衆国のテレビドラマ「『アンタッチャブル』をまねて脚本を書け」と指示を出した。

村尾昭は鶴田浩二がかねて目にかけていた脚本家で、「ギャング路線」のために岡田が日活から東映に誘った井上梅次監督の『暗黒街最後の日』(1962年10月12日公開)の脚本の下書きをした人物であった。岡田はこのことを鶴田から聞き、本作の脚本に抜擢した。当時、村尾は大映にいたため、「但島栄」の変名を用いて、指示通り『アンタッチャブル』にそっくりの脚本を書いた。

岡田はのちに大映から村尾を引き抜き、「ギャング路線」の脚本を数本書かせたあと、東映任侠路線の先駆けとなった「日本侠客伝シリーズ」や、「博徒シリーズ」の脚本に村尾を抜擢している(前者は笠原和夫とともに)。

監督・深作の前作『誇り高き挑戦』は、評論家筋の評価は高かったものの、興行的に当たらなかったために、会社上層部の深作個人に対する評価は低かった。そのため深作は東映をクビになるかもしれないと考えていた。そこへ岡田が深作を呼んで「お前、もっとドンパチをやれ。ドンパチやらないからいけないんだ」ともっと通俗性の高い映画の製作を命じ、「これをやれ」と本作の脚本を示した。しかし『アンタッチャブル』の舞台をそのまま日本に置き換えた内容のために、密造酒が作られたり、暴力組織壊滅のため警察が元ギャングを雇ったりするなど、日本であり得ない設定が多く生じていたため、深作は「やりたくない」と抵抗した。岡田はびくともせず、「とりあえずやれ」と無理往生に押し付けた。深作はこれ以降、村尾の脚本は1本も撮らなかった。

深作は、編集の際、芝居が嘘っぱちに見えるシーンを嘘がバレないうちにと大胆に切った。初号試写で「長さは何ぼや」と問うた岡田に深作が「8000フィート」と答えると、岡田は「7200ぐらいにしか見えへん。こんなに短かったらオールスターものにならへんやないか」と機嫌を損ねた。その後の本社試写会では、現代劇で同社比最高の満足度を示す統計が出た。

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