十代 -恵子の場合- (1979)
十代 -恵子の場合-
誰の手も届かない処まで、恵子は堕ちていった!
私立四葉学園の女子高生・恵子。大学入試を目前に控えた17歳の少女が、突然道を外してしまったのは、彼女だけの責任ではないかもしれない。夫婦仲の悪い父母、落ち着かない家庭、成績至上主義の先生、息のつまりそうな高校生活…。ある日、先生と真っ正面から対立した恵子は、非行グループの誘いにのってスナックやディスコに通いはじめ、やがて家出、飲酒、マリファナ、暴力団員との交際、売春、麻薬の道へと転落していく―。
キャスト
豆知識
『十代 恵子の場合』 は、1979年公開の日本映画。森下愛子主演、内藤誠監督。東映セントラルフィルム製作、東映配給。
製作
企画、及びタイトル命名は、当時の東映社長・岡田茂。東京都民生局1978年5月発行の少女非行防止キャンペーンPR冊子に掲載された「十代 京子の場合」というタイトルのショートストーリーを岡田が読んで気に入り、「このタイトルで脚本を書いてお前が低予算で作れ」と内藤誠に命じた。「十代 京子の場合」の内容は一人の高校生が、家庭の不和、受験勉強の疲れなどからグレて、乱_パーティに参加したり、売_をやったり、やがてト_コ嬢に転落して行く過程をイラスト入りで描いたもので、お役所の出版物らしからぬ大胆な内容が話題を呼んだ。内藤の東映時代の監督作品の題名は全て岡田の命名だという。岡田が撮影中のセットに現れ「おい内藤、おまえのためにいい題名考えてやったぞ、と言われるたびに恐怖を感じた」と話している。しかし興行のために岡田が奮闘努力していることを皆分かっているから出演者も誰一人文句を言わなかったという。
都民生局は「興味本位で映画にされては困る」と東映の打診をハネつけたが、噛みついたら離さないスッポン商法で鳴らす岡田は「『十代』というタイトルだけ使わせてくれ」と『十代 恵子の場合』にタイトルを変更し、「タイトルは似ていても、内容は全部フィクションだから問題ない」などとしつこく食い下がり、映画化を強引に進めた、都民生局は「映像化されると刺激が強くなる」と映画化を最後まで承知しなかったといわれる。映画関係者から「東映商法は酷い」などと批判された。
平凡な少女が、家庭内のいざこざ、学業至上主義の学校などの圧迫感から不良グループに接近。家出、飲酒、マリファナ、暴力による初体験、妊娠、中絶を経て、ヒモに操られての売春、麻薬とひたすら転落していくプロセスを生々しく再現する。当時は少女非行が社会問題化していた。当初ヒロインには、素行不良を理由にホリプロをクビになった西村まゆ子にオファーした。東映サイドは「教育的映画を作るつもりです。子供よりも、世の親たちに、ぜひとも見て頂きたい」などと意気軒昂であった。当時西村は例の事件で一旦故郷の熊本に帰っていたが、再び上京して兄と同居し、堀越高校に通っていた。西村本人は芸能界への復帰に意欲があり、映画出演に乗り気だったとされるが、内容からしてヌードが要求される可能性が高く、素行不良のレッテルを貼られた上、東映の非行を題材にした実録映画の主演ではますます悪いイメージが定着してしまうと、西村の父親や周囲が猛反対し、一応、学校の都合でと断った。代わって森下愛子が抜擢された。
製作費は企業の作品としては、これ以下では出来ないだろうというほどの低予算で、セットは組まずオールロケを敢行。越後湯沢温泉でも撮影した。またキャスティングは風間杜夫や殿山泰司など、内藤がテレビの仕事で付き合いがあった人たちに頼んだ。映画初主演の森下は、内藤が監督した東映スケバン映画最終作『地獄の天使 紅い爆音』(1977年)で映画デビューしていたため、今度は主演でやってくれと頼んだという。本作は内藤が東映で撮った最後のプログラムピクチャーで、撮影後東映を退社しフリーとなっている。
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