ゆきゆきて、神軍

ゆきゆきて、神軍 (1987)

天皇の戦争責任に迫る過激なアナーキスト・奥崎謙三

神戸市で妻とバッテリー商を営む奥崎謙三は、自らを「神軍平等兵」と名乗り、「神軍」の旗たなびく車に乗って日本列島を疾駆する。ある日、自身がかつて所属していた独立工兵第36連隊で、終戦後23日も経ってから敵前逃亡の罪で2人の兵士が処刑されていたことを知った奥崎は、その遺族らとともに真相究明に乗り出す。時には暴力も辞さない奥崎の執拗な追及により、元兵士たちの口から事件の驚くべき真実と戦争の実態が明かされていく。

公開日
1987-08-01
TMDB
7.6 / 10 (56)
上映時間(分)
2時間2分
ジャンル
ドキュメンタリー
監督
原一男

キャスト

豆知識

『ゆきゆきて、神軍』(ゆきゆきて、しんぐん)は、原一男が監督を務めた1987年公開の日本映画。

製作

本作は奥崎謙三が今村昌平に企画のような話を持ち込んだことに始まる。しかし今村は『女衒』で忙しく、原一男に企画を振った。

1981年12月、原は今村から奥崎の1冊の著書を見せられる。それは、『田中角栄を殺すために記す』というタイトルの自費出版本であった。原は奥崎に直接会いたいというと、今村は「電話をかけておくから、これを渡しなさい」と言いながら、「原一男君を紹介します」と書き添えた自分の名刺を渡した。数日後、原は妻であり、疾風プロダクションプロデューサーの小林佐智子とともに神戸に向かった。

原は1982年に奥崎に初めて会い、そのエネルギーに圧倒され、この人のドキュメンタリーを作ってみたいと考え、製作がスタートした。原は奥崎の著書や資料を読み漁り、それに出て来る関係者に取材した。宮城県、新潟県、広島県など各地で調査で回っていくうち、所属部隊での部下の処刑事件が分かってきた。結果的にこのエピソードが映画のメインになったが、最初の段階ではこのエピソードは本編の3分の1ぐらいの予定だった。途中からこの処刑事件をメインでやろうと決めた。実際の事件は、戦争中の話でもあり、証言も食い違い、真実はヤブの中になるだろうという予感はあったが、元兵士たちの過去の話、奥崎が未来へ向けてどう変わっていくか、自分たちと付き合うことによってどんな生き方に今後なるのか、リアルタイムのエピソードをドキュメンタリーで追う、という大まかなプランを立てた。カメラを回す前に原と奥崎は何度か打ち合わせをした。ドキュメンタリーのため、当然シナリオはないが、これを基にやっていこうというプロットは作成している。

撮影は1982年初頭から1983年春にかけて行われた。監督の原がカメラも兼ねた。撮影が進んだある日、奥崎が撮影したフィルムと原が編集したフィルムを較べたいと言い出した。生理的に逆なでされた気分になった原は非常に不愉快になり、「奥崎さん、監督をなさりたいなら、自分でスタッフを集めて、どうぞ自由に撮って下さい。僕らは降ります」と言ったら、奥崎が「いえいえ、監督は原さんで結構です」と矛を収めた。また、ある段階から「自分のやっている事、全部撮影して欲しい」と言い出した。16mmは高いので「オレはアンタの単なる随行記録班じゃないんだ、何を取るかはこっちが決めるんだ」と言い返した。最大の危機が、奥崎がどうしてもラッシュを見せろというので仕方なく、当たり障りのないシーンを1時間ぐらい繋いで見せたとき。

撮影地は兵庫県神戸市の奥崎の自宅兼店舗や、広島県江田島、大竹市など。1983年3月、西ニューギニアで2週間ロケが行われ、クライマックスとして、奥崎が俘虜となった集落を訪れるシーンなどが撮影されたが、帰国当日にインドネシア情報省にフィルムを没収されたため、この「ニューギニア篇」は陽の目を見なかった。その後、奥崎が殺人未遂で逮捕、収監され、原は「もうダメだ」と一旦匙を投げたが、「今ある分で何とかしよう」と、1986年に改めて編集作業を行い、作品を完成させた。

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