炎の肖像

炎の肖像 (1974)

孤独な青年、二郎は一夜をともにした女性が理由不明の自殺を遂げ、心身ともに傷つく。スーパースター、沢田研二の虚像と実像を交錯させて描く青春映画の異色作。藤田敏八と加藤彰の共同監督による1974年の作品。

公開日
1974-12-28
TMDB
7.5 / 10 (2)
上映時間(分)
1時間36分
ジャンル
ドラマ
監督
藤田敏八, 加藤彰

キャスト

豆知識

『炎の肖像』(ほのおのしょうぞう)は、1974年12月28日に公開された日活製作配給による日本映画。当時絶大な人気を誇った"ジュリー"こと沢田研二の初主演映画。企画提携・渡辺プロダクション。監督は藤田敏八と加藤彰。

製作

日活は1974年の製作方針としてロマンポルノ主軸は変わらないが、二週間興行ができる一般映画の大作を半期3番組程度公開し、74年下半期のシルバーウィークと正月にこれを配置し、月間2億円の配収を目論んだ。この年春に公開した一般映画第一弾『赤ちょうちん』、夏に公開した『妹』、秋公開の『バージンブルース』の好評を得て、本作と併映『宵待草』は日活の1975年度正月映画となる。邦画洋画とも各社超強力なラインナップが揃う1975年正月興行に沢田の主演映画を配置でき、日活としても勝負がかかる作品となった。日活の次番組は『実録 元祖マナ板ショー』と『秘本むき玉子』の二本立てである。勝負作ということもあり、通常ローテーションであるロマンポルノの女優は一切出さない。

沢田は、本作公開直前の1974年12月2日に東京体育館で、「ヘイ!ジュリー ロックンロール・サーカス」と題したライヴを行っている。このライヴでの模様は、本作の後半部分で登場する。劇映画部分の合間、あるいは交互に挿入されるジュリーのステージシーンは圧巻。「ロックンロール・サーカス」とは、1968年12月にBBCがクリスマス特番としてローリング・ストーンズ主演でジョン・レノン、エリック・クラプトン、ザ・フーといった超豪華な面々が出演したTV番組名で、出来に満足しなかったローリング・ストーンズのミック・ジャガーの反対により、放映されることなく、1996年にVHSでリリースされるまでお蔵入りとなっていた。沢田がローリング・ストーンズの熱心なファンであることからも、日本版「ロックンロール・サーカス」を目指したといわれている。ストーンズナンバーとしては「ホンキー・トンク・ウィメン」を歌う。

ザ・タイガース時代はトップ・アイドルとして「星の王子様」的な存在だった沢田が、本作ではワイルドでダーティーな大人の男への脱皮を図っている。

『シナリオ』1975年2月号の作品紹介には「ジュリーこと、沢田研二の分身ともいえる孤独な青年を主人公とした異色の青春ドラマ。孤独な青年の悲しみをと苦しみを理解出来ず、一人の女は命を絶ち、一人は青年の求めを拒絶し、三人目の女は青年をころすことで繋がりを清算する…現代のシラケの時代に自由とロマンを求めて直線的に行動する青春のドラマは意外な展開を見せる」と書かれている。このうち「命を絶つ女」は中山麻理で、「求めを拒絶する女」が原田美枝子だとすると「青年をころす女」は秋吉久美子になるが、青年沢田は殺されない。完成品がシナリオ決定稿と異なることは珍しいことではないが、プレスシートに書かれたあらすじと、中盤以降全く異なる展開となっている。当初、沢田演じる鈴木二郎は、終盤で刺される設定となっていたが、本作ではそうしたシーンはなく、当初のエンディング・シーンとなっていた水に浮かぶ二郎も、本作では数秒のカット程度となっている。

主役の鈴木二郎は、ジュリーという愛称で人気のロック歌手であり、実在の沢田とオーバーラップする。沢田は全編京都弁を喋る。意図的に虚実をないまぜにしている。

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