冒険者たち (1975)
A group of young men go treasure hunting in the sea.
- 公開日
- 1975-04-14
- 上映時間(分)
- 1時間35分
- ジャンル
- ドラマ
- 監督
- Takase Usui
キャスト
豆知識
『冒険者たち』は、1975年4月14日に公開された日本映画。あのねのね主演、臼井高瀨監督。冒険舎製作、カラー、95分。
製作
監督の臼井高瀨は東京世田谷区出身で、父は文芸評論家・臼井吉見。慶応義塾大学工学部卒業後、新藤兼人らの主宰する近代映画協会を振り出しに、フリーの助監督として重宝され、以降、増村保造や寺山修司作品など、多くの映画に就き、本作を自主製作して監督デビューした。本作は唯一の映画監督作で、以降は企業のPR映画やテレビドラマの演出をした。脚本は『空、みたか?』の監督や『竜馬暗殺』の脚本(清水邦夫共作)などを務めた田辺泰志。
臼井監督は瀬戸内シージャック事件が起きた1970年5月に、新藤兼人監督『裸の十九才』の助監督に就き、主犯Xが狙撃された5月13日には永山則夫の実家・青森県北津軽郡板柳町でロケ中で、五能線板柳駅前のラーメン屋で生中継を観た。古ぼけたテレビに映し出された映像は、NHKのニュースというより、主犯Xの暗殺ドキュメンタリーのように思えた。劇映画『裸の十九才』では、到底いい表しえない生の迫力を感じた。主犯Xは何をしたかったのか? 何を言いたかったのか? これが本作の企画の出発点だった。これが1974年2月。同年7月に冒険社という制作会社を作った。
クランクインは1974年8月1日。あのねのねの出演シーンは、同年8月1日から16日まで休みなしの撮影で、岡山県倉敷沖の瀬戸内海近辺で主にロケが行われた。あのねのねは2人で1974年夏にアフリカに行く計画をしており、レギュラー出演していた『金曜10時!うわさのチャンネル!!』(日本テレビ)にも、所属事務所にも8月の一ヵ月間休暇を取る了解を得ていた。1974年5月に本作の出演交渉を受け、「瀬戸内海で宝探し」という企画内容を聞き、「そりゃアフリカよりタダで瀬戸内海に行けるなら」と出演を承諾した。「商業ベースには乗らない実験映画」と伝えられ、あのねのねを始め俳優・スタッフともノーギャラで参加した。あのねのねのファンやマスメディアの多くに休暇を公表してなかっため、急にテレビから消え、「ゴッドねえちゃん和田アキ子にいびられて逃げ出した」「ディレクターとケンカして降ろされた」などの説も出て、ファンや週刊誌などが騒いだ。
瀬戸内海ロケは、水もない島へ機材や食糧等を持ち込み、スタッフ総出で小屋等を作ったり、平均睡眠時間3時間で撮影に挑んだ。馴れない映画の撮影で清水国明が船の甲板に2メートル転落して失神した。口の悪いあのねのねはヒロイン・黒沢のり子について「ヒデキのやった『愛と誠』の早乙女愛を期待したら、もう20代後半やんか。ほんまに途中でやめようかと考えたけど、やっているうちに段々よく見えてきたよ」などと話した。臼井監督は「本当の若者にとって冒険とは何か?が映画のテーマです。私自身この作品の完成で青春と訣別します。あのねのねの独自性には、彼らのデビュー時から注目していまして、その真剣な仕事ぶりに現代そのものといっていい体当たりの魅力から、ぜひ主演をやってもらいたかった。しかし製作費は最低限度の2千万円で、出演者もスタッフもノーギャラ。総勢16人が共同方式で倉敷や瀬戸内海の離れ小島で生活しながら、早朝から深夜までロケを敢行しました。
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