陸軍残虐物語

陸軍残虐物語 (1963)

Director Jun'ya Satô's debut film focuses on the inhuman training of recruits, the brutal drill system that reigned in the Japanese army during World War II, where in the first two years of training, ordinary people were turned into inhuman killers. For his first film, the director was awarded the Blue Ribbon Awards in the Debutant of the Year nomination.

公開日
1963-06-14
TMDB
9.5 / 10 (2)
上映時間(分)
1時間38分
ジャンル
ドラマ, 戦争
監督
佐藤純彌

キャスト

豆知識

『陸軍残虐物語』(りくぐんざんぎゃくものがたり)は、1963年公開の日本映画。三國連太郎主演、佐藤純彌監督。東映東京撮影所製作、東映配給。

製作経緯

1961年9月、東映東京撮影所(以下、東撮)所長に赴任した岡田茂(のち、東映社長)は、社会派映画がメインで当たる映画が1本もなかった東撮に大鉈を振るい、古手監督を一掃して、新進気鋭の若手監督を抜擢した。"戦記路線"を打ち出す時期を狙っていた岡田が、同期の吉野誠一プロデューサーが提出した企画を採用し、佐藤純彌を監督昇進させたのが本作である。岡田はこの東撮所長時代に"〇〇路線"という言い方を発案し、次々と新機軸を打ち出した。"東映ギャング路線""やくざ路線"に次ぐ新路線として、本作を"戦記路線"と名付け、路線化する予定であったが、後述する理由で"戦記路線"は本作一本のみで終了している。

脚本の棚田吾郎と三國連太郎、西村晃、中山昭二ら、出演者の多くに軍隊の経験がある。またシナリオの初稿があがった時に監督の佐藤と吉野プロデューサーが岡田所長に呼ばれ、岡田から自身の軍隊に於ける理不尽な実体験をシナリオと関係しながら3時間聞かされた。岡田の初プロデュース作『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』(1950年)は、日本初の「反戦映画」ともいわれる。

今日は勿論、当時でもアウトと思われるが、本作は"セーレツびんた""うぐいすの谷渡り"など、戦時下の大日本帝国陸軍に於ける20数種類のリンチ場面の再現が売りで、リンチ場面の迫力を出すため、三國連太郎や中村賀津雄などが、実際に蹴られたり殴られたりして顔が腫れ上がり、撮影がストップした。加害者側の西村晃は戦時中に実際にリンチを受けたことがあり、南道郎は軍隊映画37本でいじめ役を専門としており、迫力を持った撮影となり、気の弱い人なら失神しそうな残酷シーンとなっている。

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