日本ダービー 勝負

日本ダービー 勝負 (1970)

実在の厩舎“尾形厩舎”を興した調教師・尾形藤吉の半生をモデルに、日本ダービーの歴史を綴りつつオールスター共演で描く競馬映画。ダービーに生涯の夢を託す主人公の意地とド根性を通して、人と人、人と馬との触れ合い、勝負に生きる赤裸々な男の姿を描く。また1932年の第1回ダービーから、'69年の第36回までの代表的レースの実写場面を随所に盛り込んで、'70年度出場のサラ四才馬の調教状況も詳細に紹介している。

公開日
1970-05-13
TMDB
7.0 / 10 (1)
上映時間(分)
2時間4分
監督
佐藤純彌

キャスト

豆知識

『日本ダービー 勝負』 は、1970年5月13日に公開された東映東京撮影所製作、配給東映によるオールスター映画。佐藤純彌監督。東映が日本中央競馬会(JRA)と組んだ東映得意のタイアップ映画。

製作

企画は俊藤浩滋。当時、2000万人の競馬人口とも言われた競馬ブームを受け、東映幹部の多くが競馬にハマり、佐藤が『日本暴力団 組長と刺客』を撮影中に俊藤が話を持ち掛けて来た。同時期に東宝でもソルティー・シュガーの大ヒット曲「走れコウタロー」を題材にした競馬コメディ『走れ!コウタロー 喜劇・男だから泣くサ』を製作しており、競馬ブームと日本映画全体の不振から各社企画が混迷していたという背景があった。また同じ東映東京撮影所(以下、東映東京)の今田智憲所長が、1967年から1968年にかけて「競馬必勝法シリーズ」として競馬を題材とする映画を3本作ったことがある(『喜劇 競馬必勝法』参照)他、これまでも大映『幻の馬』や東宝『喜劇 駅前競馬』などが作られていた。今田は大川博東映社長の息子・大川毅とソリが合わず、傍系の東映芸能社長に左遷させられ、映画製作の最前線からは離れていた。

1969年の第29回皐月賞に勝ったワイルドモアが、1970年の日本ダービーに勝てるかどうかが話題になっていて、その馬を育てた尾形藤吉調教師を主人公にしようと話が練られた。企画としてクレジットされている大川慶次郎からは事前に話を聞いて、業界の裏話などを仕入れた。もう一人の企画クレジット・吉田達は東映東京のプロデューサー。主演の三橋達也は東映がキャスティングしたが、その他は競馬好き役者の特別出演。

本作のプロトタイプとなった短編映画が1969年11月に作られている。1969年11月30日に開催された秋の天皇賞の2日前11月28日に昭和残侠伝シリーズ第6作『昭和残侠伝 人斬り唐獅子』封切初日に東京の東映主要映画館で映画の合間に流された『㊙競馬ムービー情報・天皇賞特集』という12分のフィルムがそれで、当時は土曜の夜は深夜興行(オールナイト)があり、土曜の朝から日曜にかけて繰り返し上映された。また東京以外に場外馬券場があった全国8地区の東映系映画館(約140館)でも流されたとされる。

内容はダービーニュースに協力を仰ぎ、大川慶次郎の推理と予想を交えた解説付きで、トライアルレースの取材を含み、1969年11月27日早朝、東京競馬場ほかで行われたマーチス、アタックブルー、フイニイなどの調教の模様を収めた12分の記録映像。ニュース映画のような物で、当時競馬専門紙が7紙あり、いずれも一部80円で飛ぶように売れていたことから、これに目を付けた岡田茂東映映画本部長が、競馬新聞のやる競馬の予想紙予想を映画でやろうといういわば「動く競馬予想紙」といった試み。これを封切映画と併映して競馬ファンを取り込もうとする魂胆だった。競馬の予想といえば、競馬新聞やスポーツ紙、ラジオ・テレビによる同時中継による簡単な予想はあるが、映画のワイド画面を使っての本格的な競馬ニュースは初めてだった。当時の映画ファンは圧倒的に男性で占められており、岡田は特に男性観客を対象とした製作方針を執っており、入場者も90%以上が男性で、男女比率は競馬と同様な数字を示していた。

映画関係者から「東映さん、商売うまいッ!」「ゲテ趣味も、ここまで来るとかえってご立派。競馬ファンにとっては魅力ある企画だ」などと皮肉られた。これが人気を得るようになれば、他の映画会社も同工異曲の物を作るだろうと予想され、競馬新聞も大きな影響を受けるだろうと見られた。

Wikipediaで続きを読む · テキストはWikipedia、CC BY-SA 4.0。データはWikidata。

おすすめ