昭和侠客伝

昭和侠客伝 (1963)

老舗やくざ一家の縄張りに暴力で殴り込んできた愚連隊一派と対決して義理と人情に命を賭けた任侠やくざたちの壮烈な戦いを描いた、やくざ路線の決定版。 昭和五年。浅草に縄張りを持ち、関東一円に勇名を馳せていたヤクザの桜一家の三代目・千之助が闇夜に暴漢に刺されるという事件が起きた。幸い命は取り留めたものの、暴漢は愚連隊上がりで桜一家に刃向かう黒帯一家のものであることは明白だった。しかし事を荒立てたくない千之助はその夜の件は一切語ろうとはしなかった。ヤクザは自分一代で終わり、と心に誓う千之助は、一人娘の良子だけは堅気の婿をと願う。だが良子は桜一家の子分・重宗に惚れ、重宗も良子を密かに恋していた。その頃、黒帯一家の親分の土井や子分の常たちは、桜一家がおとなしいのをいいことに、愚連隊の青空一家を抱きこんで悪行の限りを尽くしていた。腹に据えかねた重宗は単身黒帯一家に乗り込み、土井に詫びをいれさせた。その度胸に魅せられた青空一家のチンピラ・勝男と譲次が重宗の子分に志願するも、重宗はあっさりはねつけ、逆に勝男たちは重宗のとりこになってしまう。その出すぎた行為が千之助の怒りを買い、桜一家の池上は黒帯一家の復讐を危惧して重宗を伊勢に飛ばすが、勝男たちはそこへも追いかけてきた。一年後、千之助の傷が再発したことを耳にした勝男は、重宗に無断で浅草に帰り、黒帯一家に襲われた親友の譲次を救出。だが黒帯一家の常が意趣返しに現れ、勝男は捕まってしまう。重宗の居所を吐けとドスをわき腹にえぐっていく常。勝男は最後まで口を割らなかった…。

公開日
1963-10-05
TMDB
9.0 / 10 (1)
上映時間(分)
1時間31分
ジャンル
犯罪
監督
石井輝男

キャスト

豆知識

『昭和侠客伝』(しょうわきょうかくでん )は、1963年公開の日本映画。鶴田浩二主演、石井輝男監督。東映東京撮影所製作、東映配給。併映『雲の剣風の剣』(近衛十四郎主演、河野寿一監督)。

製作経緯

企画、及び映画タイトル命名は、当時の東映東京撮影所(以下、東撮)所長・岡田茂(のち同社社長)。低迷していた東撮を"ギャング路線"で復活させた岡田がこの年プロデュースした『人生劇場 飛車角』(1963年3月16日公開)、続く『人生劇場 続飛車角』(5月19日公開)の大ヒットにより「仁侠映画路線」を展開させるべく石井輝男に撮らせたのが本作である。東撮の仁侠映画としては、先の『人生劇場』二作品の後、7月31日公開の『浅草の侠客』(村田英雄主演、佐伯清監督)に続く4作目にあたる。岡田が『昭和侠客伝』というタイトルを先に思いつき、石井を呼んで「『昭和侠客伝』ええやろう」「姐さん、すまねえ」などとセリフを話し「なあ、わかったやろ、わかったやろ」と石井に世界観を伝えた。題名がダサい感じがして石井は嫌だったが岡田に無理やり押し付けられた。鶴田浩二主演と聞かされ渋ったが「いや、仲悪いもんどうしでやると、ええシャシンできるんやで」といわれたという。石井は「当時、岡田茂さんが最高潮だったんじゃないでしょうか。

脚本は石井のオリジナル。新東宝時代の1957年に『肉体女優殺し 五人の犯罪者』のロケを浅草でやったとき、撮影許可を取るのにヤクザに世話になった経験と、島津保次郎監督の『浅草の灯』(1937年)や川端康成の小説『浅草紅団』(1930年)などにある浅草の郷愁を合わせてシナリオを書いた。

嵐寛寿郎が石井作品に久しぶりに出演し、これが『網走番外地』での名演に繋がる。大木実は東映2本目で以降、東映仁侠路線の主力俳優の一人となる。歌手・坂本スミ子は映画出演2本目。平幹二朗のヤクザ映画出演は本作と『人生劇場 続飛車角』の2本だけで、これからヤクザ映画が増えそうだったので、あまり好きになれず、本作の後、もうヤクザ映画は出ないと決めたと話している。

石井輝男監督は、著書『石井輝男映画魂』で本作のタイトルを"しょうわきょうかくでん"と呼んでいるが「文化庁日本映画情報システム」では、"しょうわきょうかくでん"ではなく"しょうわにんきょうでん"となっている。この『〇〇侠客伝』『昭和〇〇伝』のようなタイトルの映画は、1960年代から1970年代にたくさん作られ、同じようなタイトルの映画が多く混同しやすい。『〇〇侠客伝』というタイトルは、『関東侠客伝』(1925年)、『八州侠客伝』(1936年)、『総州侠客伝』(1936年)といった戦前の映画で使われたが、戦後は使用されなかったようで、岡田が思い出し復活させたものと考えられる。『〇〇侠客伝』は、やはり岡田企画の『日本侠客伝シリーズ』(1964-1971年)で使用されており『明治侠客伝 三代目襲名』(1965年)という映画もある。『昭和残侠伝シリーズ』(1965-1972年)の『残侠伝』の発想は分らないが、『〇〇遊侠伝』というタイトルの映画は戦前からコンスタントに製作され続けていた。

石井はやくざ映画が嫌いで、本格的任侠映画といえるのは本作一本のみ。この後、東撮で長期シリーズとなった「昭和残侠伝シリーズ」にも参加せず、1965年からメガヒットシリーズとなった『網走番外地シリーズ』を手掛ける。『網走番外地』は任侠映画に括られることも多いが本格的任侠映画とはいえない。任侠ブームの去った1973年に"任侠映画10周年記念映画"『現代任侠史』という主演の高倉健がアメリカ帰りで英語ペラペラという現代を舞台にした任侠映画を撮っている。

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