大阪ど根性物語 どえらい奴

大阪ど根性物語 どえらい奴 (1965)

大阪ど根性物語 どえらい奴

長谷川幸延の『冠婚葬祭』を中島貞夫、鈴木則文による脚色で映画化。鈴木則文の第1回監督作品。東西人気タレントが総出演して、浪花っ子のど根性を、恋、笑い、涙とバラエティに富んだ展開で描く人情喜劇。時は大正、第一次大戦後の不況の波に覆われた大阪に、葬式の近代化を志す一人の青年、大木勇造がいた。老舗葬儀屋・駕為で働く勇造は、運送屋にヒントを得て自動車で仏様を運ぶ≪霊柩車≫を発案。しかし昔気質の親分に理解されず勘当されてしまう。

公開日
1965-10-24
上映時間(分)
1時間28分
ジャンル
コメディ
監督
鈴木則文

キャスト

豆知識

『大阪ど根性物語 どえらい奴』(おおさかどこんじょうものがたりどえらいやつ)は、1965年公開の日本映画。東映京都撮影所製作、東映配給。藤田まこと主演、鈴木則文監督。公開当時の映画誌の情報ではタイトルは単に『どえらい奴』。併映は『天保遊侠伝 代官所破り』(大川橋蔵主演、山内鉄也監督)。

製作

1964年2月、大川博東映社長(当時)の命で、岡田茂(のち、同社社長)が東映京都撮影所(以下、京撮)のリストラ対策として京撮所長に復帰。前任者の高橋勇が労働基準法など労働三法を全く知らず、組合に潰されたためで、岡田は時代劇製作を縮小させ(のちテレビに完全移行)、古手のスタッフを整理する荒治療に出て、任侠映画を主力路線とし、若手監督・脚本家を登用した。うち、前年の中島貞夫に続き、鈴木規文を監督デビューさせたのが本作となる。

鈴木は岡田が東映東京撮影所(以下、東撮)所長時代の1963年に岡田から声が掛かり、殿様が若侍の恋人を奪って側室にして、侍は殿様の寝室の見張り役を命ぜられ、殿様と恋人の閨房の声を聞かされるという倒錯した愛の話を書き、国弘威雄に脚本を頼んで岡田へ提出したが、『殉愛記』というタイトルを岡田に『暴君好色』と商売第一のタイトルに変更され、絶対条件だった佐久間良子が出演を拒み流れた。岡田は鈴木に「お前は悲劇が好きと言うとるけど、わしの見るところ喜劇のほうが向いとる」という"鶴の一声"を発し、この企画が本作に変更した。岡田は映画は喜劇が大事という考えを持ち、当時の東映には喜劇を撮れる監督がおらず、鈴木には喜劇をやらせようと考えていた。

藤純子は、鈴木が仲良しで監督になったら主演映画を作ると約束していた。鈴木は藤が留守でも藤の家へ遊びに来て藤の母親と飯を食っていたという。本作でも藤純子から始まり、藤の映画と呼んでもさしつかえない。谷啓は岡田が東撮で"喜劇路線"を敷くため東映に籍を置いていた。クレイジー組は鈴木が好きで「1日でもいいから来てくれ」と頼んだ。しかし植木等は無理だったという。

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