松川事件 (1961)
Satsuo Yamamoto's filmic depiction of the famous 1949 Matsukawa Incident.
キャスト
豆知識
『松川事件』(まつかわじけん)は、1961年製作、山本薩夫監督による日本映画。松川事件の発生から仙台高裁の二審判決までを描く。
製作の経緯
1959年8月10日、最高裁判所が仙台高等裁判所の二審判決(1953年12月22日、17人が死刑含む有罪、3人が無罪)を破棄し、仙台高裁に差し戻した翌日の8月11日に開催された「松川事件対策協議会」の第7回全国代表者会議(1959年8月11日)で、『劇映画』製作を決定。
1960年2月13日、「松川事件劇映画製作委員会」(会長・広津和郎、副会長・太田薫、事務局長・加藤万吉)結成大会が開催され、総評、国鉄労働組合、日本ジャーナリスト会議など、78の団体が参加、常任実行委員会には22団体が選ばれた。大会には、各県の代表120名と、佐多稲子(作家、松川事件対策協議会副会長)、阿部知二(作家、松川事件対策東京協議会会長)、映画監督の山本薩夫、脚本家の八木保太郎、俳優の宇津井健、三島雅夫、左幸子らも出席した。
既成の映画会社による資金の支援を受けず、配給網にも依存せず、労働組合が製作の中心となった過去の映画(第一映画と全逓信労働組合の提携作品であった1953年の「赤い自転車」等)の製作システムであった独立プロ請負の形をとらないことが決定された。
シナリオの完成には差戻公判の事実の取り調べが続いていた7ヶ月余りを費やし、関係者と全国の支援者の意見を集約し、第三稿まで書き直しが行われて、クランクインの7日前にようやく決定稿を得た。すでに事件の発生から10年あまりが経過し、その間、社会情勢が変化、高度成長期を迎えた観客にも、事件や裁判の展開だけでなく、当時の社会背景等を把握できる内容が求められた。1961年1月1日付発行の雑誌「映画評論」第18巻第1号に「シナリオ 松川事件」が掲載された。
1960年11月5日にクランクイン。撮影スタジオを借りて室内シーンを撮影するとともに、ロケ地は仙台高等裁判所付近等行われ、強要された虚偽の自白内容のレール外しのシーンは、現在の千葉県佐倉市付近で撮影された。仙台高裁前のラストシーンでは、福島、宮城、東京、新潟、栃木、千葉、神奈川各県から約2000人のエキストラが参加した。
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