残酷異常虐待物語 元禄女系図

残酷異常虐待物語 元禄女系図 (1969)

Three stories of moral sickness set during Japan’s prosperous Genroku era are told in this bloody follow-up to the sexploitation classic Shogun’s Joy of Torture, the politically incorrect moral lessons paint a trio of tales of tragic heroines caught up in violence, sadomasochism, incest and torture.

公開日
1969-01-09
TMDB
5.9 / 10 (28)
上映時間(分)
1時間29分
ジャンル
ドラマ, スリラー, ホラー
監督
石井輝男
シリーズ
The Joys of Torture Collection

キャスト

豆知識

『残酷・異常・虐待物語 元禄女系図』 は、1969年の日本映画。吉田輝雄主演、石井輝男監督。R-18(旧成人映画)指定。2009年再審査によりR15+。

製作

企画は岡田茂東映映画本部長。1968年暮れに岡田が"刺激性路線"に続く1969年東映新路線として企画した"性愛もの"シリーズ、"性愛路線"の第一弾として企画した。石井の"異常性愛路線"は、全て岡田と石井の話し合いで決められた。

1968年夏の時点で本作の枠である1969年正月映画として岡田が企画していたのは「高橋お伝、妲己のお百、夜嵐お絹その他、有名な妖婦、毒婦を総登場させて、誰が明治時代の妖婦で、誰が徳川時代の毒婦であっても一切こだわらず型破りなドラマを構成する」という歴史的に有名な毒婦の"実録猟奇犯罪もの"で、仮タイトルは『妖婦百人』という"毒婦アベンジャーズ"のような企画であった。岡田が"毒婦もの"を最初に企画に挙げたのは1965年のことで、1965年始めに「東映好色新路線」としてエロ映画を大手映画会社で初めて路線化する方針を打ち出し、このラインアップに『四畳半襖の下張』(『四畳半物語 娼婦しの』)、大川橋蔵主演『女犯破戒』、平安朝時代のセックスと暴力を描く佐久間良子主演『女盗賊』、井原西鶴原作の『好色親不孝』(本朝二十不孝?)、大奥の局が将軍の寵愛合戦を繰り広げる『大奥㊙物語』と、藤純子主演を予定した"毒婦もの"『毒婦・高橋お伝』が含まれていた。

石井輝男は岡田本部長からの信頼も厚く、岡田作成による東映の年間ラインナップ表には、"石井もの"というエログロ企画枠が用意され、封切りまでにそこで石井作品を必ず何かやらないといけないと決まっていた。東映で石井の"異常性愛路線"を支持する者は、指揮を執る岡田と天尾完次だけだったといわれる。当時の岡田は大川博東映社長から「お前は東映映画の社長だ」と煽てられていたといわれ、映画の製作に関しては、一つの映画会社の社長の立場に匹敵する大きな権限を持たされていた。本作に始まる1969年の"性愛路線"について岡田は「今年は石井監督とボクと二人が悪役覚悟でやる」と話し、石井は「今年(1969年)は岡田氏と二人一緒で悪役でいこうということで、いわゆるオーソドックスな線だけではなく、そういう方面(性愛路線)に活路があるのではないかという考え方でやっているのです」「会社の方針に従うだけ。観客にうける作品でないと作る意味はない」などと話し、岡田と石井で"性愛路線"の共闘を申し合わせていた。

当時の東映のえげつないタイトルは本作も含め全て岡田の命名といわれた。1969年は正月明けから本作『残酷・異常・虐待物語 元禄女系図』『にっぽん'69 セックス猟奇地帯』(タイトルは中島貞夫との合作)『謝国権「愛」より ㊙性と生活』『異常性愛記録 ハレンチ』『妾二十一人 ど助平一代』『㊙女子大生 妊娠中絶』『徳川いれずみ師 責め地獄』とメジャー映画会社とは思えない振り切ったエログロ満載の文字づらを並べ、当時の東映のエロ映画(東映ポルノ)のタイトルは、ピンクプロダクション製作のピンク映画顔負けどころか、遥かに凌駕するドギつさといわれ、「これが本当に映画人のセンスなのか?」と呆れられた。当時はこのようなえげつないポスターが立て看板などで大量に街に貼り出され(条例が厳しい地方自治体では規制がある)、女優たちもこの後どんな凄い題名が続出するかビクビクしていたといわれる。芸能記者の間では「東映の女優たちには、あなたいま何に出演してる?と聞かないのが思いやり」というのが合言葉だった。

石井輝男との名コンビで知られる掛札昌裕が石井と初めてコンビを組んで共同で脚本を執筆。掛札は天尾完次プロデューサーの抜擢。掛札は助監督をやりながら変な習作シナリオを書くと噂になり、「あいつなら石井と合うんじゃないか」と思われて起用に至ったとされる。最初の打ち合わせは東映京都撮影所の前の旅館で『徳川女刑罰史』の撮影用に三笠れい子がおっぱい丸出しで刺青師が作業中の横で行われ「凄い世界だなぁ」と感激したと話している。掛札はオムニバスの方が見せ場が作りやすい考えを持っていたため、三本分のプロットを着想し、石井からOKをもらい第一稿まで書き、その後掛札と石井で手を入れた。第三話の腹を裂いて胎児を取り出すシーンはボツになると思って書いたが、石井が「面白い!」と褒め、本編に組み入れられた。

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