日本任侠道 激突篇 (1975)
Toei studios last ninkyo eiga of the 70's.
キャスト
豆知識
『日本任侠道 激突篇』 は、1975年1月15日に公開された日本映画。主演:高倉健、監督:山下耕作。東映京都撮影所製作、東映配給。
製作
1974年は東映作品に世論が沸いた。その最たるものが「山口組三代目シリーズ」製作に於ける一連のトラブルで、1974年11月27日、『山口組三代目』が商品券取締法違反等という報道に対して東映本社で記者会見があり、岡田茂東映社長が事情説明をした後、合わせて『山口組三代目・激突篇』の製作中止を正式に発表した。12月にも入ろうかという時期に、1975年の正月映画をそこから0から作れるわけはなく、本作は元々は『日本仁義』というタイトルで、『山口組三代目・激突篇』よりも前から高倉健が製作を希望していた映画だった。『山口組三代目・激突篇』で組まれていた豪華なキャストは、そのまま本作にスライドした。『山口組三代目・激突篇』が製作されていたら、高倉健が田岡一雄を、渡瀬恒彦が地道行雄、待田京介が吉川勇次を続けて演じる予定だったものと見られる。
東映は1966年から1970年代までは正月枠は、基本的に年末から一月中旬くらいまでを正月前半、一月中旬から以降を後半とし、各二週間ずつ、正月前半、後半としていたが、前半が勿論正月看板作品となるため、1974年秋の時点では、1975年正月前半に『日本仁義』、後半に『山口組三代目・激突篇』を構想していた。一時期は両方とも製作予定があった。
1974年9月30日にあった岡田東映社長と業界記者団との懇談会で、岡田が「1975年の正月映画は最終決定に至っていないが、高倉健の『日本仁義』でアメリカ製の『ザ・ヤクザ』を決定してみる考えでいる。それと『ドキュメント山口組』(製作されず)。オールアクションの東映で勝負するつもりだ」と話し、東映企画製作部長・登石雋一も同じ9月に映画誌のインタビューで「正月はジャンルとしては任侠もののジャンルで二週いきたい。それに空手のアクションをつけていきたいと考えております。何をやるかについては、色々難しい問題がありまして、今のところちょっと申し上げられないですけど、過去の任侠路線でのヒット路線の延長という形といえば大体ご推察がつくと思います」などと話し、本作と『山口組三代目・激突篇』をそれぞれ正月前半・後半のA面番組に予定していると文献に書かれている。
しかし1974年10月頃になって岡田社長が『日本仁義』を引っ込め菅原文太主演の『新仁義なき戦い』を正月前半のA面番組に変更した。登石は『新仁義なき戦い』は、1975年正月には間に合わないと話していたが、これも1975年正月映画の前半に急遽繰り上げられた(新仁義なき戦い#製作決定に至るまで)。岡田社長が『日本仁義』を一旦引っ込めた理由は、高倉健は勝プロで撮った『無宿』の撮影後、いつもの放浪癖で渡米し年内は帰国しないといわれたこと、高倉のギャラが一本700万円で、一本300万円の菅原文太の方が興行成績がよいなどの判断があり、岡田社長が『日本仁義』を一旦中止したことで、高倉は東映が自分を必要としないことを感じ、今後は三船敏郎のように外国映画を中心に出演したいと考えていたといわれる。そのため高倉は同じ1975年の正月映画になった『ザ・ヤクザ』をヒットさせなければならなかった。
東映の正月前半は9年間高倉が務めていたが、この決定により菅原が初めて東映の正月前半の顔を務めることになった。
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