暴力戦士

暴力戦士 (1979)

In 1979 Toei president Shigeru Okada saw the future. More precisely, he saw Walter Hill's The Warriors in the US prior to its Japanese opening. Okada rushed back to make his own version. "Towards the 80! Our era! Now filming!" the trailer exclaimed. The plot is roughly the same as in The Warriors except this time the chased gang has to make it from Kobe to Tokyo and the leader's got the enemy's sister handcuffed to him. Hardly great cinema, but undeniably entertaining with frantic pacing, loads of music and even a massive roller blade street chase! As a vision of future, it wasn't too far off if the future was defined as 80s rock, bad fashion and comic book films.

公開日
1979-10-06
TMDB
7.0 / 10 (1)
上映時間(分)
1時間26分
ジャンル
アクション, ドラマ, 犯罪
監督
石井輝男

キャスト

豆知識

暴力戦士(ぼうりょくせんし)は、1979年10月6日に公開された日本映画。製作は東映東京撮影所。

製作

数々の便乗企画を生み出した岡田茂東映社長(当時)が、ウォルター・ヒル監督の『ウォリアーズ』を日本公開前にアメリカで観て、「ああいう新しい形のストリート・キッズの映画を日本でも作ろう、1980年代を先取りした衝撃的な青春映画を一発打ち出してみよう」と石井輝男と中島信昭に指示して始まった企画。若者好きで新しがりやの岡田の新企画のいけにえに何故かよく白羽の矢が立てられるのが石井である。石井らは、当初12、3歳ぐらいの非行少年たちの群集劇を狙い、各地に飛んで材料を集めたが、その構想はだんだん挫折していった。『ウォリアーズ』のメンバーたちはいくぶんキャリアもあるしニュースターとしての確かさもあったが、当時の日本の映画界の周辺では、短期間に使えるだけの存在感のある少年たちを見つけ出すのが非常に困難と分かった。アメリカの若者たちと日本の当時の若者たちの状況がかけ離れすぎており、目を見張るような若者映画は当時の日本ではほとんど生まれていなかった。

田中健はそれまで『青春の門』や『聖職の碑』など、著名監督の作品に出演していたが、石井が「ワルの役はあとで自分がやりたくなってもできないよ」などと口説いた。田中はそれまで真面目な映画の真面目な役が多かったが、ここで一気に「不良性感度」抜群の姿を披露し、石井は田中を気に入りその後テレビ作品でも起用した。

また岡田奈々も石井が気に入り、劇場映画復帰作に起用している。岡田は「歌手と女優の両立なんて中途半端でしょう。だからこの作品で女優として一人立ちしたいんです。私ももう20才。いつまでもカワイ子ちゃんでもありませんから」と話し、歌手廃業をキッパリ宣言し、「これからは役者として進みたい」と話した。岡田は歌手としてはヒットが出せなかったものの、愛らしいルックスが買われ、映画・テレビからの出演オファーが絶えなかった。

撮影は一般的な劇場用35mmではなく、16mmで撮影され、東映化工でブロー・アップ処理している。

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