一心太助 江戸っ子祭り

一心太助 江戸っ子祭り (1967)

船木一夫が二ついるー⁉︎

「日本侠客伝 白刃の盃」の中島貞夫の同名原作(『平凡』連載)を、自身と、「任侠柔一代」の金子武郎が共同で脚色し、「兄弟仁義 関東三兄弟」の山下耕作が監督した歌謡時代劇。撮影は「お尋ね者七人」の鈴木重平。

公開日
1967-04-20
上映時間(分)
1時間27分
ジャンル
コメディ
監督
山下耕作

キャスト

豆知識

『一心太助 江戸っ子祭り』(いっしんたすけえどっこまつり)は、1967年制作の東映時代劇映画。舟木一夫主演、山下耕作監督。東映京都撮影所製作、東映配給。原作は脚色も務めた中島貞夫の同名小説(雑誌『平凡』連載作品)。

製作

企画は当時の東映京都撮影所所長(以下、東映京都)岡田茂。製作の発表は1966年10月で、テレビ時代劇にお株を奪われた時代劇の老舗東映として、お茶の間に奪われたお客を映画館に呼び戻すべく時代劇復興の望みを込め、「(1)新しいタイプの主人公による時代劇(「牙狼之介シリーズ」、(2)特撮を駆使した時代劇(『怪竜大決戦』など)、(3)オーソドックスな"東映時代劇"」の時代劇巻き返し三つの柱として岡田が発表した(3)に該当する、「オーソドックスな"東映時代劇"」として企画した。岡田は「近く舟木一夫の『一心太助』や、大川橋蔵の『銭形平次』の製作にかかるつもりだ。いまテレビの時代劇の人気を見ていると、正統時代劇にファンが、茶の間にひっこんでしまったような気がする。その観客の足を再び映画館に向けさせるためには、今日の観客に魅力あるヒーローを、次々と役に当てはめていくことが大事だと思う。

舟木は歌手として1960年代を中心に「御三家」として人気を集め、日活の歌謡映画を中心に役者としても活躍した。東映も岡田が東映京都に転任後に東映東京撮影所の所長となった辻野力弥が本間千代子のために「歌謡青春路線」を敷き、舟木は本間の相手役として2本、東映映画に出演している。東映京都の映画に出演するのは、本作が初めてである。

一心太助の映画といえば、同じ東映の中村錦之介(萬屋錦之介)主演で1960年前後にシリーズ化された中村錦之助版が有名であるが、本作は明るくカラッとした江戸っ子・太助の魅力で舟木ファンを倍増させ、正統時代劇の人気回復を狙った。当時の舟木は歌に映画に絶好調で、1966年8月公開の『絶唱』(日活)が大ヒットし、改めて歌手の持つ人気の高さを見せつけ、日活は『絶唱』の大ヒットを祝うパーティを開くなど、同社のトップスターとして扱った。映画俳優ではお客を呼べなくなった好例として、歌手が「映画に出る以上は、いい作品を」などと当時の映画俳優にも許されない"作品選択権"を持つ始末となり、マスメディアからは「歌手の人気に無条件降伏して映画に頂こう」とする邦画各社の製作姿勢を批判された。舟木は人気絶頂ではあったが、当時レコード祭歌謡大会で出演順序が気に入らないと番組をソデにし、ファンに背を向けた格好になっていたため、本作は人気回復を賭けたものになった。陰のある舟木の個性が、太助役でどう変えられるのかが注目された。

人気スターの舟木が主演する映画ということで、雑誌メディアから話題を煽ろうと中島貞夫に『月刊平凡』での原作が先に発注された。中島は「映画が決まってから『平凡』の舟木ファンに前売りをするって意味でのスタートです。脚本を東大の美学の一年後輩で、一年あとに東映に入って来た金子武郎君と脚本を書きました。彼は進行進行をやってたんだけど、僕が脚本書きに引き込んだんです。彼とはその後も何本かホンを一緒に書いています。しかし錦ちゃん、沢島忠(監督)さんの『一心太助』には、所詮かないっこないんで。それに錦ちゃんと舟木じゃあ、ぜんぜん違う。『よし、スラップスティック・コメディにしてやれ』って、だから脚本が出来て岡田さんに見せたら、こてんぱんに怒られました。『なんだこれ、漫画か』ってね。僕と将軍(山下耕作)でスラップスティック・コメディ作れるわけねえんだけど。(映画の)出来は、将軍だから割ともともだったと思います」などと述べている。

Wikipediaで続きを読む · テキストはWikipedia、CC BY-SA 4.0。データはWikidata。

おすすめ